本を買うことが非日常のイベントに「お客がいなくなればやめるのが商売」 創業68年の駅前書店、2代目が下した決断

伊野尾書店の店頭で本を読む幼い頃の伊野尾宏之さん(提供写真)

 東京・新宿から西武新宿線で3駅の中井駅。新宿区とは思えないのんびりした駅前商店街に店を構えるのが、1957年創業の伊野尾書店だ。週刊誌から漫画、学習参考書、料理のレシピ本、ちょっとした文具まで幅広くそろう駅前書店は、その多くが姿を消した。伊野尾書店も例外ではなく、今年3月末で店を閉めることになった。

 店内でレスラーが闘う「本屋プロレス」や、店先で参加者が野宿する「本屋野宿」、出版社の編集者らが自社の本を持ち寄って売る「本の産直市」などさまざまなイベントで出版業界では知られる存在だった。だが、父親から店を継いだ2代目の伊野尾宏之さん(51)は「非日常のイベントで本を買ってもらうことはあっても、本を買う行為そのものが日常ではなくなった」と語る。

 書店が閉店すると聞けばSNSでは惜しむ声が尽きない。書店が守ってきた活字文化が危うい…と言いたくなるが、伊野尾さんは「商売ですから、お客がいなくなればやめるのが普通です」ときっぱり。書店に通うことはもはや“非日常”なのだろうか。著書『本屋の人生』(本の雑誌社)を刊行した伊野尾さんに話を聞き、最後の日々を追った。(共同通信 森原龍介)

「本屋プロレス」で戦うDDTの髙木三四郎(右)ら=2019年11月、東京都新宿区の伊野尾書店

 ▽チラシを見て「産直市」に

 昨年11月のある週末、伊野尾書店の周囲にいくつものテーブルが並び、編集者らの威勢のいいかけ声が休日の商店街に響き渡っていた。「どうぞお立ち寄りください。本のイベントをやっています」「出版社の人間が本のご紹介をしております」

 開催されたのは「本の産直市」。本の雑誌社、共和国、作品社といった中小の個性的な出版社が自社の本を並べて売っている。ポスティングされたチラシを見てのぞきに来たという近所に住む松尾拓恵さん(42)は、月と文社のブースで、娘のために翻訳絵本「ゴッホとひまわり」を買っていた。松尾さんは「アマゾンで本を買うこともあるけど、新しい出合いがない」と話す。伊野尾書店には「月に1回来るか来ないか」だが「自分向けのコーナーがあるように感じていた」と振り返った。

本の産直市でブースに立つトランスビューの工藤秀之社長

 ▽イベントは「ドーピング」

 本の産直市を全国各地の書店で企画するのは出版社トランスビュー。工藤秀之社長は、今回のイベントのチラシを近隣に1万2千枚ポスティングしたと明かす。「本屋さんはちょっとでも生活圏から離れると知られていない。スーパーのようにポストに書店のチラシが入っていたらどうかと考えた」。産直市で購入する際には書店のレジを通すので「書店の利益にもなる」。「地方でもイベントは成立する。書店を知ってもらうのにギリギリまだ間に合うと思ってあがいています」

 11月の産直市は、2日間で200万円超を売り上げた。伊野尾さんも「1日ぐらい臨時休業してもいいかなと思った」と、ほおを緩めつつ「お客さんからの問い合わせも来るので、そうもいかないな」と苦笑した。

 サイン会やフェアなど常に書店発で話題を提供してきた伊野尾書店。そのたびに本は売れるものの“イベント疲れ”という言葉も思わず口を突く。「気が向いた時にしか来なくなったお客さんを、なんとか振り向かせようとイベントを企画して、告知をして…。そのサイクルで普段の仕事を回すのも大変になる。常に“ドーピング”してお客さんを集めるような状況になってしまった」

伊野尾書店で開かれた「本の産直市」=2025年11月

 ▽閉店を決めても新刊は届く

 特別なイベントのない平日はどんな様子か。昨年12月のある日、開店準備の様子から取材した。

 午前9時、店をのぞくと段ボールやビニールに包まれた本の束が雑然と積まれていた。夜中のうちに取次会社が合鍵を使って運び入れた雑誌や新刊本だ。「以前はスタッフを早めに呼んで午前10時に間に合うように準備をしていたけど、人を減らしたので一人で段ボールを開けて並べないといけない」。昨年半ばから開店時間を正午にした。「例えば2021年頃でも、週5日8時間で月18万円払うのがやっと。働く人の人生もあるから長期雇用はできない」

 FMラジオが流れる店内で一人、黙々と段ボールを開け、古い本を新しい本と入れ替えていく。閉めると決めた書店にも次々と新刊は届く。

 午前11時50分、店のシャッターを開けて、屋外の棚に週刊誌を並べていく。アルバイトの女性もレジに入って準備を始める。慌ただしいまま開店の時間を迎える。

開店準備の伊野尾宏之さん=2025年12月、東京都新宿区

 ▽中井の文化的空気支えた店

 午後0時15分、女性客が漫画雑誌を手に取りレジへ。チャリンと小銭を支払う音が響く。この日最初の買い物客だ。続いて「孫に紙の本を読ませたいからさ」と図書カードを買ったのは、近所で薬局を営む荻堂博さん(74)。「閉店は残念だけど、このご時世だからね」

 近所に住む田中和男さん(63)は「歴史ものやスポーツの本の品ぞろえが好みです。いい書店なんだけどねぇ」と閉店を惜しむ。

 午後1時半、伊野尾さんは車で配達に回る。行き先には医療機関、高齢者施設、児童館、個人のお宅も。外商の売り上げは減少し、今は全体の2割ほど。「5、6年前に美容院が一斉に雑誌を読めるタブレットを導入した影響が大きかったなぁ」。1時間以上かけて配達を終えると「昼食は適当に後で済ませます」。

 午後3時半、店の看板に明かりを付ける。午後4時を過ぎると、エコバックを持った買い物帰りの中高年女性らが商店街を行き交う。近所に住む高橋洋子さん(64)は「(新宿の)紀伊国屋まで行くのは大変だし、ここなら取り寄せも頼みやすい。中井の文化的な空気を支えているお店よ」と語る。

開店直後の伊野尾書店の店頭=2025年12月、東京都新宿区

 ▽知らない本との出合い楽しめない若い世代

 夕方、しばらくバックヤードで事務仕事をしていた伊野尾さんが、店頭で本の整理を再開した。店に届く新刊の半分程度は取次会社が選んだ本。もう半分が自分で選んだ本だという。「選書が書店の醍醐味だと思うけど、全ての出版物をチェックするわけじゃないから精度はそんなに高くない。それに、正直なところ、何を置いてもあまり変わらないんじゃないかな」とぽつり。

 雑誌の扱いをやめて「自分が良いと思う本だけを並べてみたらどうか」と、夢想したこともあった。「本好きはほめてくれるけど、そんなにみんな買わないだろうな。SNSでばかりほめられるような店にするのは避けたいというのが、肌感覚としてあった」。本好きが「良書」と呼びそうな本も、政治的に偏っていると批判されそうな本も棚に雑多に並べてある。

 伊野尾さんが痛感するのは、店内をぶらぶらして本を手に取るという客がめっきり減ったこと。その一方で、若い世代を中心に、スマートフォンを手に「この本ありますか?」と尋ねる客が増えてきた。

 「ピンポイントで本を探す人はいるけど、並んでいる中から読みたい本を探す人は少ない。知らない本との出合いが本屋の魅力と言われるけど、大半の人はもうそういう出合いを楽しんでないんじゃないかな」

棚の整理をする伊野尾書店の伊野尾宏之さん=2025年11月、東京都新宿区

 ▽いなくなった立ち読み

 伊野尾さんの実感では、分かれ道は約10年前。「その頃から立ち読みをする人が明らかに減ったんです」。ちょうどスマートフォンの個人保有率が50%を超えた頃だ。「立ち読みしても売り上げにつながるわけではないし、読む方にとっても内容も記憶に残らない“無”の時間だったかもしれない。それでも本屋に来てくれてはいたんですよね」

 立ち読みのために書店で過ごしていた時間は何に消えたのか。SNSか、スマホで読む芸能記事か、ショート動画視聴か。いずれにしても、書店に向かう人の足は遠のき、本との接点はさらに減っていった。雑誌だけでなく、マンガの売り上げも厳しい。「ワンピース」のようなヒット作でも、最新巻が出るたびに店頭での売り上げが目減りしていく。

 「われわれの商売は雑誌を売って、文庫を売って、コミックを売る。それが目減りしては人件費も払えない」

 雑誌以外の書籍は回転率も悪く、その上、在庫が潤沢にないとたくさんは売れない。そして薄利だ。固定費を切り詰めるのにも限度はある。「にっちもさっちもいかなくなる前にやめないと」。伊野尾さんが最終的に閉店を決めたのは昨年の6月ごろだった。

 「V字回復する未来があるなら頑張るけど、ほぼないなと思った」

伊野尾書店が独自に選んだ「夏の文庫100冊」コーナー=2020年9月、東京都新宿区

 ▽ロマンチックには語れない【編集後記】

 書店が一軒もない「書店ゼロ」自治体の数が各地で増え、自治体が書店の誘致に動く例も出てきた。政府も書店振興の旗を振るが、伊野尾さんは「期待は特にしていない」と肩をすくめる。書店は守られるべき文化なのか?と尋ねると「商売ってお客が来なくなったらやめるのが普通。書店はやたらとロマンチックに語られるが、それだけの話です」。

 伊野尾書店の跡には、出版社のトランスビューが経営する書店「BOOKSHOPトランスビュー 大江戸中井店」がオープンし、伊野尾さんがその店の運営を任されるという。何だ、書店は残るじゃないか…と言うなかれ。資金繰りにきゅうきゅうとする日々から解放された伊野尾さんが、なお本の世界で働けるなら何よりだ。

 10年ほど前、自己破産に追い込まれた地方のある書店を取材したことがあった。その店も企画力に定評があり、メディアでもしばしば取り上げられた店だったが、資金繰りに苦しみ続けた末のやむを得ない選択だった。清算を終えた店主の男性にインタビューした際の「資金繰りが一番で次が売り上げ。一番下に家族がある。すごくいびつな人生だった」という言葉が忘れられない。

 出版業界を取材していた私は、かつて伊野尾書店を定期的に訪ね、店頭の様子を紹介する新聞連載をしていた。「本屋プロレス」を間近で目撃し、店が独自で選んだ「夏の文庫100冊」フェアに感心し、コロナ禍で学校に通えない子どもたちのために用意した本が次々と売れるのも見てきた。

伊野尾宏之さんの著書『本屋の人生』(本の雑誌社)

 2019年、その連載の第1回で伊野尾さんはこんなことを話していた。

 「今でもライトノベルの新刊をうれしそうに買って帰る少年がいます。いずれこの店で買ったことも忘れてしまうでしょうけど、彼の人生の時間につかの間立ち入ることができる職業であり、そこに喜びがあります。家でも職場でも学校でもなく、いていい場所。そこを確保するのが書店員の仕事です」

 個性派書店がもてはやされる時代に、あえて“普通の街の書店”であることを貫いた伊野尾書店に、「オールドメディア」と呼ばれる業界に身を置く私自身、親近感があった。

 とはいえ、連載が終わると足が遠のき、たまに顔を出して何冊かまとめ買いするぐらいだった私にとっても、伊野尾書店での買い物は非日常のイベントになっていた。そんな身から、閉店が残念だなどと軽々しくは言えない。

 それでも、どこにでもありそうで平凡な、だけど面白いこの書店が閉じることは、時代の転換点のだめ押しに思えてならない。