こりゃ魅力的だわ…大井町トラックスの賑わいが示す高輪ゲートウェイシティの成長シナリオ

大井町駅前の複合施設「OIMACHI TRACKS(大井町トラックス)」(筆者撮影)
JR東日本が社運を賭ける「TAKANAWA GATEWAY CITY(高輪ゲートウェイシティ)」は3月28日、先行開業していたツインタワー「THE LINKPILLAR 1」を除く区画がグランドオープンした。また同日、大井町駅前の複合施設「OIMACHI TRACKS(大井町トラックス)」もまちびらきを迎え、同社の都市開発事業は新しい時代に突入した。筆者は3月19日に大井町、25日に高輪で行われた内覧会に参加し、その後、開業後最初の平日となる30日にも現地を訪れた。同社のまちづくりが今後、どのように進められるのか、現地取材から見えてきた期待と課題を考えたい。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
「高輪築堤」の発見で
1年遅れとなった開業
都心では最大級の約10ヘクタールの再開発となった高輪ゲートウェイシティは、約10年前の2014年6月に発表された。ところが敷地内で鉄道史跡「高輪築堤」が発見されたことから、一部の設計を変更。3街区の「THE LINKPILLAR 2」の位置を東に地上部4m、地下部12m移動したことで、1~3街区の開業は1年遅れた。
大手術の結果、線路より内陸にあった海岸線の通舟口として設けられた「第7橋梁部」約80m、2街区公園隣接地の築堤約40mの現地保存が可能になり、1街区の横にあった信号機土台部の移設保存も決定した。
設計変更と開業の1年遅れは、開発効果を最大化したいJR東日本としては頭の痛い事態だっただろう。だが、日本の鉄道史の生き証人である遺構の保存が実現したのは、史学徒のひとりとして胸をなでおろす思いであった。

高輪築堤第7橋梁部と隣接する泉岳寺駅の改良工事(筆者撮影)
高輪築堤は現地調査終了後、埋め戻されたため、まだ土の中にある。隣接する都営地下鉄・京急電鉄泉岳寺駅ではホーム拡幅工事を実施しており、高輪築堤とは土留め壁1枚で遮られた状態だ。泉岳寺駅は地下約10m、高輪築堤は約5m地下にあり、同時に掘削すると相互に影響する。両工事は調整しながら並行して進められ、ともに2027年度末に開業・公開予定だ。
複数のイベントスペースを備えた
文化創造棟の「MoN Takanawa」
今回オープンしたのは3街区の「THE LINKPILLAR 2」、2街区の「MoN Takanawa」、1街区の高層住宅「TAKANAWA GATEWAY CITY RESIDENCE」の3施設だ。
ただ「THE LINKPILLAR 2」は2~3階のレストラン・食品街「MIMURE」以外はオフィスとオフィスワーカー向けの施設が中心であり、ホテル、コンベンション機能、商業施設「NEWoMan(ニュウマン)高輪」など多様な機能を持つ「THE LINKPILLAR 1」とは性質が異なる。
目玉と言えるのが地上6階、地下3階、延べ床面積約2.9万平方メートルの文化創造棟「MoN Takanawa」だろう。

「MoN Takanawa」(筆者撮影)
約1500平方メートルの館内最大の展覧会スペース「Box1500」、座席(着座1000人、立席2000人)とステージを備えるシアター空間「Box1000」、ホワイエと一体化できる自由度の高い「Box300」という、サイズや機能の異なる3種類のイベントスペースを用意。それ以外にも100畳の畳スペース「Tatami」、展示スペース、テラスなど人々が集う施設を備える。

「BOX1000」(筆者撮影)

「Tatami」(筆者撮影)
開業後、最初の平日だった3月30日に「THE LINKPILLAR 2」と「MoN Takanawa」を訪れたが、思ったより人がいなかったというのが正直なところだ。もっとも、上述の通りこれらは、オフィス中心のビルと休日に賑わう文化施設である。高輪ゲートウェイシティが真価を発揮するのは、オフィスやレジデンスが本格稼働し、まちを中心とした人々の循環が確立してからだろう。
高輪ゲートウェイシティは1日10万人が滞在する計画の都市である。これまでの駅ビルや既存市街地の一区域を再開発した商業施設とは異なり、100年先を見据えた「まち」そのものを新たに作る試みだ。
鉄道のまち大井町の歴史は
「大井工場」から始まった
JR東日本は高輪ゲートウェイシティ(1~4街区)の安定稼働時の営業収益を570億円と見込んでいる。最初の1年間は計画達成に向けて順調な船出だったのか聞くと、概ね計画通りに推移しているという。
高輪ゲートウェイ駅の1日あたり乗車人員も、昨年3月のまちびらき前後で2万人から4万人へ、ニュウマン高輪・JWマリオット・ホテル東京が開業した昨年秋以降は6万人へと順調に増加しており、今後は10万人を目指す。現状の利用者総数の割合は3~4割がオフィスワーカー、約3割が周辺地域在住者、約3割が週末中心のお出かけ客だという。
そして、JR東日本が推進するのは、高輪ゲートウェイシティを中心とした「品川広域圏」のまちづくりだ。開業済みの「WATERS takeshiba」「BLUE FRONT SHIBAURA」に加え、「浜町町二丁目4地区A街区開発(2029年度開業予定)」「田町駅西口駅前開発(2028年度末一部開業予定)」「品川駅街区地区開発計画・北街区(2030年代半ば開業予定)」「品川駅北口改良・駅ビル整備(2030年度開業予定)」など数多くの開発案件が進行しており、2034年頃までに年間1000億円の営業収益を目指す。そして、そのひとつに名を連ねるのが今回、同時開業した「大井町トラックス」だ。

大井町トラックスの「TRACKS PARK」から「ビジネスタワー」を望む(内覧会にて筆者撮影)
大井町駅の西側、山手線の車両基地である東京総合車両センターに隣接する用地は元々、JR東日本の「広町社宅」があった場所だった。鉄道のまち大井町の歴史は、大正初期に車両修繕・新造を行う「大井工場」が置かれたことに始まった。
1960年代に入って首都圏の輸送力を大幅に増強し、車両数が増えると車庫の不足が顕著になる。山手線の車両はそれまで、京浜東北線の車庫を一部間借りする形で分散配置されていたが、新車両基地に集約することになり、白羽の矢が立ったのが大井町だった。

大井町トラックスに隣接する東京総合車両センター(筆者撮影)
大井工場は当時、大正時代から拡張を重ねてきた施設の近代化工事が予定されており、捻出したスペースに地上と地下の2階建て車庫を新設することにしたのである。そして、車庫建設にあわせて構想されたのが広町社宅だった。
広町社宅を生み出したのは新幹線の父と呼ばれる島秀雄だった。島はある日、国鉄の建築技師・馬場知己に「なぜ鉄道の建築屋は4階以上のアパートを作らないのか?」と聞いた。
馬場はかねて、首都圏の人口増加は郊外の拡大ではなく都心の高層化で吸収すべきと考えており、実際に高層社宅を検討したことがあったが、周辺環境の兼ね合いで認可が下りず、実現できなかったと返答した。
すると島は席を立って大井工場の図面を持ってくると、赤鉛筆で南側3分の1に線を引いて「馬場さん、南側は君にあげましょう。ここに理想とする高層アパートを建ててください」と言ったのである。こうして1966年、馬場の理念を体現する12階建て高層アパート6棟が完成した。
国鉄職員と家族約2000人が入居し、国鉄民営化後はJR東日本に引き継がれた。だが、時間の流れには逆らえず、耐震基準への不適合により解体が決定し、築半世紀を超えた2017年に全棟が解体された。時を同じくして老朽化した品川区庁舎の建て替えが浮上したため、一体的な再開発へと発展した。これが整備までの経緯だ。
大井町トラックスの魅力を高める
開放的なアウトモール型商業空間
東京の高層化時代到来を予見した建物の跡地に建設された複合施設はどのようなものか。まず目につくのは高さ約110mの2棟の超高層ビル、「ビジネスタワー」と「ホテル・レジデンスタワー」だ。前者は賃貸オフィス、後者はホテルと賃貸レジデンスが大半を占める。

断面図と3階フロア平面図(大井町トラックス公式ウェブサイトから抜粋)
高輪ゲートウェイシティのオフィス面積が約23万平方メートルなのに対し、大井町トラックスは約12万平方メートルと、ほぼ半分の規模である。これだけのオフィスを一気に供給するのは無謀にも見えるが、それ以上に東京のオフィス不足は深刻だ。
KDDIが高輪ゲートウェイに新オフィスを構えたように、複数に分散したオフィスを集約したいニーズから、大規模オフィスビルの需要は根強いそうだ。品川以南は川崎、横浜までオフィス供給のないエリアだったため、既にほぼ満床と言える状況だという。高輪ゲートウェイシティ「THE LINKPILLAR 2」についても9割以上が内定している。
だが、大井町トラックスの魅力は超高層ビルではなく、その足元にあった。最大の特徴は、同社グループでは初めて導入した開放的なアウトモール型商業空間だ。大井町駅から続く大井町トラックスの3階フロアは、新設の改札口(トラックス口)から東急大井町線下神明駅方面に、区役所通りと並行に続く。これを「TRACKS STREET」=通りとみなし、沿道に店舗を配置した格好だ。

賑わうTRACKS STREET(筆者撮影)
TRACKS STREETは1階から5階まで通りに面した80店舗で構成され、階段、エスカレーター、エレベーターで上下移動が可能だ。イチからまちを作り上げた高輪ゲートウェイシティとは異なり、大井町には地元商店街などの魅力的なコンテンツがあった。そこで、地域との一体感を重視し、まちの延長線上で歩いて楽しめる施設とすることで、地元との共存共栄を図った。

上下フロアをつなぐエスカレーター(筆者撮影)
大井町トラックスの成功から見える
高輪ゲートウェイシティの可能性
現地に赴き、沿道の店舗を眺めながら歩く人々の姿を見て、その試みは成功するのではないかとの印象を得た。平日の1日を眺めただけであるが、これまでのビルに閉じ込められた「まち」ではなく、開かれた商業施設の可能性を感じたからである。
もちろん、この手法が全ての開発に適用できるわけではない。地元との共存共栄が中長期的に成功する保証はないし、施設ごとに立地、流動、沿線文化が異なり、これらをふまえたコンセプト、収益性など、さまざまな条件がある。それでも、今後の近郊型開発のモデルケースとして大きな可能性を秘めていることは間違いない。
実際、2028年12月に竣工予定の「船橋都市計画市場1丁目地区計画」では、「南北に延びる海老川沿いの人の流れと船橋駅につながる東西の人の流れの結節点として、地域の利便性の向上及び憩いと賑わいの創出」を目指し、通路、広場など開放的なまちづくりを予定している。
そこで思い至ったのは高輪ゲートウェイシティの今後である。品川駅に近い5、6街区の整備スケジュールは未定だが、高輪築堤の保存・公開を議論する「『国際交流拠点・品川』における高輪築堤等の価値・あり方に関する有識者検討会議」では、5、6街区の保存について、具体的な設計案を元に議論が進んでいる。
2026年2月に開催された19回検討会では、高輪ゲートウェイシティに乗り入れる区画道路4号の設計を変更することで、日本初の鉄道信号機を設置した区間を現地保存する案が浮上し、実現に向けた検討が進んでいる。ただし、あくまでもこれは遺構を破壊せずに後世に遺すといった趣旨であり、高輪築堤が5、6街区のまちづくりに組み込まれるわけではない。
オフィスや都市型ホテルの高層化は必然だが、人々が行き交う、活力あるまちづくりには、開かれた「通り」が必要である。高輪ゲートウェイシティが堅調だとしても、賑わいが見えにくい、ビル中心のまちづくりはもったいないように思う。高輪ゲートウェイシティと比較して、大井町トラックスはそれほどまでに魅力的であった。
高輪ゲートウェイは駅前広場を中心に、各施設やパブリックスペースを結ぶ南北歩行者ネットワークを整備したが、計画発表時の想像より姿より活気がない。安直な発想かもしれないが、高輪築堤という歴史的な「通り」をもっと、人々の流れを作る仕掛けとして活用できなかっただろうか。もはや時間切れかもしれないが、品川駅に近い5、6街区はビルで完結せず、回遊性のあるまちになってほしい。
JR東日本は2024年に策定した中長期ビジネス成長戦略「Beyond the Border」で、不動産を含む生活ソリューション事業の営業収益を2033年度までに2023年度比で2倍に拡大する目標を掲げている。その額、約8470億円であり、広域品川圏8個分の増収が必要な計算だ。
物価・人件費の高騰、人手不足で建設業界が悲鳴をあげる中、スケジュール通り、競争力のある都市開発が可能なのか。高輪と大井町を通じて成長戦略の希望と課題が見えてきた。