率直に言う ホンダの「2.5兆円損失」は敗北ではない

EV敗北論の再検証と構造転換の視点

 2026年3月期、ホンダは上場以来初の赤字へと転落した。損失最大2.5兆円。世間はこの衝撃的な決算を「電気自動車(EV)戦略の敗北」と断じる。だが、その本質は「負け」ではない。内燃機関という過去の資産を清算し、AI・知能化が支配する次世代へかじを切るための、痛みをともなう「自己変革」なのだ。なぜトヨタと収益力で差がついたのか。米国の規制や地政学リスクはどう数字を歪めたのか。そして、なぜ「EV」でなければならないのか――本連載では、表面的な数字の裏に隠されたホンダの真の狙いと、自動車産業の激変を徹底検証。日本車が生き残るための「高額な授業料」の正体に迫る。

【画像】「えぇぇぇぇ!」 これがホンダの「平均年収」です!(7枚)

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 先日、筆者(成家千春、自動車経済ライター)は当媒体にて「損失最大2.5兆円は再出発の代償か――収益モデル転換の現在地【短期連載】ホンダ「EV敗北論」という虚像(1)」(2026年3月23日配信)を執筆し、収益構造を抜本的に組み替えるための“代償”について論じた。だが、その直後、事態はさらに動きを見せることになった。

 そのわずか2日後、ソニー・ホンダによる「AFEELA(アフィーラ)」の開発中止が報じられたのだ。電動化の象徴と目されていたプロジェクトだけに、世間では

「EV戦略の敗北」

と短絡的に捉える向きも少なくない。だが、その実態はもっと現実を見据えた経営判断の結果といえる。

 背景にあるのは、北米を中心としたEV政策の変節と、高価格帯EV市場の急激な冷え込みだ。もはや、無理に事業を続けても成功の道筋を描くことは難しい。ホンダは将来にわたって負債を抱え続けるリスクを断ち切るため、1.7兆円という巨額の現金流出をともなってでも、過去の計画を清算することを選んだのである。

 ここで注目すべきは、鳴り物入りで進められてきたアフィーラに終止符を打ったことだ。この決断の裏には、コストカットという言葉だけでは片付けられない、同社の強い意思が透けて見える。車を物理的な移動手段として作る発想を捨て、AIがすべてを制御する「知能化した移動体」へと、土俵そのものを変えようとしているのだ。

 なぜ、この痛みをともなう判断が今のタイミングで必要だったのか。巨額損失の裏側に隠された理由を、多角的に掘り下げていきたい。

高価格EVモデル成立の限界

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アフィーラ 1(画像:アフィーラ)

 ソニー・ホンダは、アフィーラの勝負所を米国に定めていた。2023年1月、ラスベガスで開かれた世界最大級の技術見本市「CES」で試作車を披露した際、彼らが提示したのはソフトウェアこそが車両の価値を決めるという新たな姿だった。ソニーが長年培ってきたエンターテインメントの技術を車内に持ち込み、これまでの移動体験を塗り替える。その対価として、市場が動くことを期待していた。

 2025年1月には、いよいよ第1弾モデル「アフィーラ 1」の予約を米国で開始。価格は8万9900ドル、日本円にして約1400万円という強気の設定だった。販売網の整備も着々と進み、2026年3月21日にはカリフォルニア州に新たな拠点「アフィーラ Studio & Delivery Hub」を構えている。州内で2か所目の納車拠点、ブランドを象徴するスタジオとしては6か所目。準備は万端に見えた。

 潮目が変わったのは2026年1月、テスラが下した決断だった。高級モデルの生産中止を突如として発表したのだ。テスラは既存の工場を人型ロボットの製造ラインへと作り変え、年間100万台という途方もない規模でロボットを送り出す計画を打ち出した。これは、彼らの主戦場が移動手段の製造から

「AI」

へと完全に移ったことを告げる出来事だったといえる。この市場の変容は、アフィーラにとっても他人事ではなかった。高級EV市場において、もはや車内での娯楽体験だけでは1400万円という高価格を納得させることが難しくなったのだ。

 販売台数が伸び悩めば、AIの精度を高めるために不可欠な走行データも集まらない。高付加価値を追い求めた当初の構想は、収益性だけでなく、進化のスピードという面でも大きな壁に突き当たったのである。

インセンティブ消失と政策転換の影響

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アフィーラ Studio Beverly Hills(画像:アフィーラ)

 ソニー・ホンダが米国での発売に向けて準備を急ぐさなか、市場の空気は一変してしまった。

 2025年9月末、これまでEV普及の追い風となっていたインフレ抑制法(IRA)による最大7500ドルの税額控除が打ち切られた。米国政府が掲げていた普及促進の旗印が、事実上、下ろされたことを意味している。

 ゼネラルモーターズをはじめとするデトロイト3はEV事業の縮小を余儀なくされ、巨額の赤字を計上した。業界全体が電動化の熱狂から距離を置くなか、その余波はソニー・ホンダをも直撃したのである。とりわけ8万ドルを超えるような高級モデルの需要は予想を大きく下回り、もはや市場の実情とはかけ離れた存在となってしまった。

 日本メーカーにとって、米国の関税政策の変化も重い足かせとなった。2026年3月の米国販売実績を見ると、ホンダは前年同月比で12.0%減と沈んでいる。主力の「CR-V」が10.5%減、「HR-V」が26.2%減、さらに「シビック」も7.4%減と、これまで収益を支えてきた稼ぎ頭のモデルたちが軒並み苦戦を強いられている状況だ。これはホンダに限った話ではない。トヨタも8.5%減と13か月ぶりにマイナスへ転じ、スバルやマツダも前年割れの状態から抜け出せずにいる。

 屋台骨である既存モデルの稼ぐ力が衰えるなかで、膨大な投資を必要とするアフィーラを抱え続ける余力は、もはや残っていなかった。利益の基盤が揺らいでいる以上、このプロジェクトに終止符を打つことは、会社全体の存続を考えれば避けられない判断だったといえる。

北米高級EV市場の構造変容

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テスラ・モデルS(画像:テスラ)

 ソニー・ホンダが価格を公表した当初から、その高価格な設定には首を傾げる声が少なくなかった。

 戦いの舞台となる米国で競い合うのは、メルセデス・ベンツの「EQS」やBMWの「i7」、あるいはテスラ「モデルS」といったそうそうたる顔ぶれだ。これらに対し、アフィーラの車体は一回りほど小さい。彼らは、映像や音楽といった車内での移動体験を極限まで高めれば、車体のサイズによらず十分に勝ち目があると考えていた。ソフトウェアの価値を重んじる新興メーカーを強く意識した戦略だった。

 しかし、市場の動きは残酷だった。高価格帯のEV販売は、目に見えて落ち込み始めている。かつて市場を牽引したテスラ「モデルS」は、2022年の3.5万台をピークに、今や1万台を割り込むまでに急減した。「モデルX」も販売を半減させている。他の高級モデルも年間1万台の壁を越えられず、高級EVという枠組みそのものが、もはや十分な販売量を守れる場所ではないことが浮き彫りになった。

 米国の富裕層にとって、電気が動力であること自体は、もはや対価を払うべき特別な価値ではなくなっている。彼らの関心は、AIによる自動運転の精度や、どれほど知能化が進んでいるかという点に移った。加えて、車体の大きさがそのまま社会的な地位を象徴する米国において、小ぶりな車体に1400万円を投じるという選択は、理解を得るのが難しかった。

 本来、高価格モデルでブランドを確立し、その後に普及版へと広げていく筋書きだった。だが、採算の目処が立たないまま無理に販売を強行すれば、次世代のAI開発に投じるべき貴重な資金を使い果たすことになりかねない。結局のところ、アフィーラは事業としての成立が極めて困難であるという、冷徹な結論に至らざるを得なかったのだ。

1.7兆円現金流出と事業清算プロセス

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アフィーラ Studio San Diego(画像:アフィーラ)

 ホンダが、北米市場の再建を託していたはずの主力EV「ゼロシリーズ」や「アキュラRSX」などの開発中止に踏み切った。これにともなう設備や資産の目減り、取引先への補償といった損失は、2027年3月期までの累計で最大2.5兆円に達する見込みだ。なかでも、実際に手元から消えていく現金が1.7兆円にものぼるという事実は、事態の重さを物語っている。

 この途方もない支出は、いわばこれまでの開発や生産のあり方を清算するための「授業料」といえるだろう。かつての経営判断が生んだ物理的な資産を一度手放し、AIを核とした新たな形へ移るための地ならし。それが行われたのだ。

 多額の現金が流れ出す痛みは、決して小さくない。それでも、先行きが見えない事業に資金を投じ続けるリスクを断ち切ったことで、ハイブリッド車の強化や、米国以外の成長市場へリソースを振り向ける余地がようやく生まれた。

 物理的な工場や拠点に縛られるこれまでの経営から、ソフトウェアの価値を高める方向へとかじを切る。今回の決断からは、過去の投資を将来の重荷にさせないという徹底した整理の意志が透けて見える。もともとEV事業は初期投資が重く、資金の回収には長い年月を要する。ホンダは、現在の市場環境でこれ以上の投資を続けるのは難しいと見切りをつけ、傷口を最小限に抑える道を選んだのだ。

 主戦場である米国では、環境政策の変節に加え、関税の問題や高級車市場の冷え込みといった逆風が重なっている。今回の判断は、目先の数字を追うためだけのものではない。将来の成長を守るために、今あえて

「過去を捨てる」

という選択をした経営のリアリズムがそこにはある。

EV戦略転換と経営構造の再定義

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EV戦略転換と巨額の損失。

 ホンダが突きつけられたのは、EVにすべてを賭けるか、あるいはこれまでの形を守るかという、一見すれば二者択一の問いだった。しかし、実際の経営というものは、そうした単純な枠組みで語れるものではない。目まぐるしく変わる外部環境に合わせて、いかに手持ちの資源を賢く振り分けるか。今回下されたのは、まさにその最適解を求めるための冷徹な判断だった。

 一連の開発中止と巨額の損失。ここから見えてくるのは、電動化の本質が新しい技術を追い求めることだけではないという事実だ。各国の政策や地政学リスク、そして揺れ動く市場の動向。それらを鋭く見極め、状況に応じて経営の資源を柔軟に入れ替える。今、自動車メーカーに問われているのは、そうした変化への適応力そのものだといえる。

 これまでホンダの戦略は米国を軸に据えてきたが、その大前提が崩れた以上、計画を書き換えるのは経営として当然の帰結だろう。アフィーラの開発中止にしても、市場環境の変化に照らせば、選ぶべくして選ばれた結果にほかならない。

 もっとも、ホンダはEVそのものを諦めたわけではない。変化の激しい時代に合わせて、歩みの進め方を修正しているのだ。2030年代に向けて、競争の主戦場はエンジンやモーターからAIへと移っていく。そうしたなかで、過去に立てた計画に固執し続けることは、かえって経営を危うくする。むしろ、ソニーとの協力を通じて得た「ソフトウェア中心の開発手法」を、ホンダの主力車種へ広く流し込むための下地がようやく整った、と見るべきではないか。

 自動車産業の全体がいま直面しているのは、この不透明な時代にどう立ち向かうかという、経営の本質的な課題である。最大2.5兆円という巨額の損失は、ホンダがこれまでの「製造業」の殻を脱ぎ捨て、AIを核とした移動サービス企業へと生まれ変わるために支払った、重く、避けては通れない代償だったのだ。