高卒の私が、なぜ頼まれて首相補佐官になったのか…ヤングケアラーだった矢田稚子さんが考える“女性活躍” 「賃上げをしたいから、ぜひ知恵を貸して」と首相、伝えた衝撃の数字とは

取材に応じる元首相補佐官の矢田稚子さん=1月
ジェンダー平等が世界最低レベルに沈む日本で、男女の賃金格差は大きな課題となっている。元首相補佐官の矢田稚子さん(60)はその改善に取り組んできた一人だ。民間企業や国会議員を経て、岸田、石破両政権で首相補佐官を務め、今は官民の橋渡し役を担う。
どの立場でも一貫して女性の働き方に向き合ってきた姿勢の根底にはどんな経験があるのか。近くで見た元首相らの姿も交えながら、矢田さんにとっての働くことの意味を語ってくれた。(共同通信=池上いぶき)

「女性の経済的自立に向けたデジタル人材育成を考えるシンポジウム」で挨拶する矢田稚子さん=3月、東京都千代田区
▽ヤングケアラーだった
10代の頃から、仕事は日々食べていくための手段でした。大阪の実家には借金があり、私は5人きょうだいの長女。弟や妹たちの面倒をみて、体調を崩しがちな両親を看病しアルバイトで家計を助ける、今で言うヤングケアラーでした。
中卒で働こうと決心していたほど、生活は困窮していましたが、先生や周囲の勧めもあり地元の公立高校に進学。入学金にも制服購入にも苦労し、高校時代は新聞配達、スーパーのレジ、家庭教師など、あらゆるアルバイトをしました。「自分の食いぶちは自分で稼ぐ」。そういう考えが当時から染みついていたんです。
経済的事情で大学進学を諦め、高卒で入社したのが松下電器産業(現パナソニック ホールディングス)です。就職して中卒で働く妹とアパートで暮らし始めたんですが、お給料で毎月一つずつ家電を買いそろえるのが面白くて。冷蔵庫が一番うれしかった。
▽女性は出張できなかった
最初の職種は電話交換手。女性しかいない職場でした。その後、人事に異動しました。
異動後、初めて仙台市の工場への出張の指示が出た際、女性は宿泊を伴う遠距離の出張は許可できないと組合に止められました。当時は労働基準法に「女子保護規定」という、女性の深夜勤務などを制限するルールがありました。
でも「何が危ないの?」と組合に掛け合いました。ワクワクしながら生まれて初めて飛行機に乗り、3日間の業務を済ませ、無事に帰社し、その後、女性も宿泊を伴う出張ができるようになりました。
「違和感」を持った出来事は他にもありました。当時、女性社員には名刺がありませんでした。仕事で必要な時は、厚紙を切って自作したものを何十枚も配りました。一方で、男性には新入社員であっても配属前から用意されている。最終的には上司に訴え、女性も名刺を作れるようになりました。
こうした経験から、男女間で仕事内容や処遇がこんなに不平等なのかと違和感を持ちました。提言を書き、女性社員の能力を生かす部署開設に携わっていきます。
そこで女性社員向けにアンケートを取りました。「これ以上働かせないで」という声があった一方、約30%が「もっと働きたい、キャリアを積みたい」と考えていたんです。その人たちのために力を尽くしました。
▽労働組合で抱いた「新たな違和感」
その後、キャリアステップの一環だと勧められ、労働組合本部の中央執行役員に就きましたが、そこでまた新たな違和感を抱きました。
「組合に来たら、役員は男性ばっかり。会社より遅れてるのでは。これで女性のための活動ができるのか」
女性の職場環境改善に向けて、できることをしようと思いました。
例えば、当時は産後も働く人が増えていたので、妊産婦の休憩室が必要だと感じ、職場環境の整備を掲げて交渉しました。「搾乳する場所がいるんですよ。産後は定期的に搾乳せねばお乳張っていて仕事にならない。生産性が落ちますよ」。私自身出産経験があるからか「労使交渉に迫力が出たね」と言われました。
2008年には不妊治療休暇を作りました。経済的にも身体的にも負担が大きいから、せめて気兼ねなく休暇がとれるようにと。ただ、民間企業ではどうにもならないのが高額な治療費でした。実はそれが、政治家としての活動で実現します。

参院本会議で質問する矢田稚子氏=2016年9月
▽菅元首相から「あれ、やったよ」
組合の推薦で2016年、参院議員に当選しました。
当時の菅義偉官房長官に不妊治療を保険適用にしてほしいと何度も委員会質疑で取り上げました。総理になって本当に実現してくださり、「あれ、やったよ」と声をかけてくださったのを覚えています。
他にも政治分野の男女共同参画推進法の策定や改正にも携わりました。政治の場も男性ばかりなので、少しでも女性議員を増やしたかったのです。政府や与党と対決するより、根回しして政策を通すことを重視しました。
振り返ると、企業で解決できないことを組合で、労使間でできないことを議員で取り組んできました。経験が繋がっていったんだと感じています。
2022年の参院選で落選し、会社に復帰。2023年9月、官邸から会社に連絡があり、首相補佐官になってほしいと要請をいただきました。

女性活躍推進の政府プロジェクトチーム会合で発言する矢田稚子首相補佐官(右端)=2024年9月、首相官邸
▽2人の首相に伝えた衝撃的な数字
当時の岸田文雄首相に着任早々、「僕はとにかく賃上げしたいんだよ。ぜひ知恵を貸してくれ」と言われ、賃金・雇用担当の首相補佐官に就きます。
賃上げであれば、日本では男女の賃金格差解消が必要だと思い、こう進言しました。
「問題は女性の低賃金。労働市場にさらに女性が入ればイノベーションが起きて仕事の質が上がる。女性は消費行動が盛んなので消費も上向く。需給両面でプラスですよ」
低所得にとどまる大卒女性の多さをデータで示すと、岸田さんに響いたようでした。
各省庁の幹部から構成する「女性の職業生活における活躍推進プロジェクトチーム」も組みました。
2024年6月、岸田元首相が出席する場で衝撃的な数字を発表しました。「女性が第1子を生んだあと専業主婦になるか正社員を続けるかによって、生涯可処分所得が1億6700万円異なる」という試算結果です。女性が正職員として働き続けることが重要ということです。
この数字は次の石破前首相の政策にもつながっていきました。石破さんは地方創生を掲げていました。地方の視点で見ると、女性が働く場所を求めて都市部に行くと、地方の少子化が進んでしまうんですね。だから「女性や若者に選ばれる地域」という目標を掲げることになりました。
岸田さんは「経済の人」、石破さんは「弱者に寄り添う人」。2人とも女性活躍という視点を重んじてくださいました。現政権でも、高市早苗首相や女性大臣の存在が、女性でもトップリーダーが務まるという良い影響を与えてほしいです。

所得は給与、退職金、年金などの合計。就労継続・正社員は22歳で就職し、出産後1年育休を取った後、65歳で退職したケース。再就職なしは、第1子出産後、29歳で退職したケース。(女性の職業生活における活躍推進プロジェクトチームの提出資料による)
▽女性×デジタル
首相補佐官を退任し「官民連携DX女性活躍コンソーシアム」を立ち上げました。主に地方の女性が在宅で働けるよう、デジタル分野の人材育成を目指す取り組みで、全国各地の自治体や企業と連携して取り組んでいます。
在宅ワークは、育児や介護などを担うケアワーカーの方々が希望する働き方です。政府の試算では、IT人材は2030年に79万人不足すると予測されており、女性が活躍する働き方として、相性がいいと思います。
具体的には、まず自治体や地方企業、デジタル推進を行う企業にコンソーシアムに参加していただきます。参加機関にDXの必要性や女性デジタル人材活用の成功事例を伝え、女性活用の機運をつくっていきます。並行して、自治体と企業でデジタルスキルの研修を実施し、各地域で女性デジタル人材を育成します。
ただ、研修を受けても実績がなければ雇用につながらないケースも多いです。実践の場が必要なんです。そのため、連携する大手企業に対し、仕事を切り出して委託契約などをしてもらい、女性たちに実績を重ねてもらっています。そこでの経験を認められて大手企業や地域の中小企業に採用されるケースも出ています。
地方の女性は「自分ならできる」という感覚、いわゆる自己効力感が低く、「私には無理」と思い込んでしまっている女性も多い。でも、私は、働く場で能力を高めてきた多くの女性を見てきました。たから、もったいないと思うんです。コンソーシアムの卒業生が各地の中小企業などで活躍し、自信をもって働く女性が増えるよう応援していきたいです。

「官民連携DX女性活躍コンソーシアム」が発足し、シンポジウムであいさつする矢田稚子元首相補佐官=2025年7月、東京都千代田区

▽権利を放棄しないで
もう還暦です。しんどいよね。本当は大阪に帰ろうかとも思ったんです。けれど、官邸で要職についた経験のある女性は本当に少ない。その貴重な経験を社会に還元しなさいと、お世話になった方に言われたんです。
女性活躍のため、手足が動く限り行動していきたいと思いますね。
「活躍」って別に稼ぐことだけではないんだけれども、日本の女性はあまりに稼げてないから。活躍そのものに経済的な効果があり、自分の生活を豊かにするんです。
そして、働くということは自分の食いぶちを稼ぐ部分もあるけど、自分の能力を磨き、生きがいを見つけるための手段でもあります。
私は高卒で学歴もないけど、ここまでやってこられた。働く場でいろんな出会いがあって、社会とつながって、成長できました。
誰でもポテンシャルを持っていると思う。だから、権利を放棄しないでほしい、もったいないと伝えたい。ぜひ自分の可能性や価値に気付いて、自分の力を発揮してください。