日米合意が「令和の不平等条約」にしか見えない理由は…専門家たちの指摘と政府の主張の間にこれだけの落差
合意に至った日米関税交渉について、政府は成果のアピールに躍起だ。石破茂首相は退陣決断のタイミングとして「(交渉に)一つの区切りが付いた」ことを挙げた。ところが合意の中身は「区切り」と胸を張れるほどすっきりしていない。日本が約束した5500億ドル(約81兆円)の対米投資がその代表例。結局、米国に都合のいい話をのまされたのではないか。(福岡範行、森本智之)
◆「ひと言」で10分間話した高揚感
9日の閣議後の記者会見で、赤沢亮正経済再生担当相は冗舌だった。担当した日米関税交渉を振り返っての所感を問われた場面だ。

9月7日、退陣を表明する石破茂首相の記者会見を見守る赤沢亮正経済再生相=佐藤哲紀撮影
「関税よりも投資ですよ、と一貫して最後まで米国を押し切った。米国が求める(日本側の)関税を下げることに、世界でおそらく、わが国だけが応えなかった」と自画自賛した。
序盤で「ひと言だけ申し上げれば」と口にしつつ、答えに約10分間費やした。
◆「交渉のやり方を頭に入れろ」と皮肉
このやりとりは、トランプ米大統領が4日、交渉の合意内容に基づく大統領令に署名したことをふまえている。日本から輸入する自動車への関税を27.5%から15%に引き下げるなどとされ、日本経済へのダメージが一定程度、緩和された。同時に両国は、日本が米国に5500億ドルを投資する覚書に署名。合意内容の共同声明も発表した。
この日、赤沢氏は米ワシントンで記者団に、対米投資について「日本にもメリットがある形で、サプライチェーン(供給網)を米国内に作り上げようという話」だと説明した。

9月9日、アメリカの関税措置に関する総合対策本部の会合で発言する石破茂首相。右は赤沢亮正経済再生相=佐藤哲紀撮影
共同文書作成は不要との方針だったのではと問われると「皆さまにも交渉のやり方を頭に入れておいてもらえば理解しやすいと思いますが」と皮肉を込め「米側が文書を熱心に求めてきた。だったら大統領令を出してくださいと交渉した」と主張した。
◆「干された窓際族が急に取締役に」
どこか上から目線で高揚感が漂う赤沢氏。10年近く前から取材する政治記者は「石破氏の側近なので、党内で干されていた。会社で言えば、窓際から急に取締役になり、命運を左右する交渉を任された」と背景を語る。石破氏と同じ鳥取県選出の衆院議員で7期目。国土交通省出身で政策にも明るいが、力を発揮する機会には恵まれなかった。

4月16日、アメリカのトランプ大統領(右)を訪問した赤沢亮正経済再生相=内閣官房のホームページより
赤沢氏はワシントンで記者団に「この場の話はあなたたちにも、日本国民の皆さんにも聞かれるが、交渉相手(の米国)に話しているというのが一番大きい」とも語った。国民への説明責任は後回しなのか。
◆アメリカの関税引き上げリスクは続く
第1次トランプ政権との日米貿易協定交渉に当たった関西学院大の渋谷和久教授(国際政策)は「次に会うまで(交渉の)方向が維持できるか分からない相手だから、仕方がない」と同情的だ。
ただ、訪米が10回にも上った一方で、交渉過程が国民には見えづらく、交流サイト(SNS)では「マイル稼ぎ」などと揶揄(やゆ)された。渋谷氏は「日本向けの説明資料は合意直後に出すと良かったのではないか」と説明の改善も促した。
法政大の白鳥浩教授(現代政治分析)は、関税問題について「全く終わった形になっていない」と指摘する。米国から再び引き上げを迫られるリスクも残る。
◆「政権継続するつもりで詰めていない」
石破氏が7日、辞意表明の理由に関税交渉の「区切り」を挙げたことも、「後付けですよ。(自民党総裁から)引きずり降ろされることは見えていた」と手厳しい。むしろ、参院選の敗北後、「政権継続の理由を探し、トランプ関税が存在意義になった。政権の命脈を保つために利用してきたところもある」とみる。

米大統領が投資先を選定すると明記した日米間の覚書
白鳥氏は、対米投資を巡る懸念も語った。「政権を継続するつもりだったから詰めていないところもある。これから悪影響が出てくるのではないか」
日米間の合意自体は7月下旬だった。そのころ、トランプ氏はSNSに「日本は私の指示のもと、米国に5500億ドルを投資し、その利益の90%を米国が受け取るだろう」と投稿。ラトニック米商務長官もインタビューで「トランプ大統領が建設したいものに何でも日本が資金提供する」などと述べた。
◆実態は「アメリカの説明に近い」?
一方、日本政府は、5500億ドルはあくまでも国際協力銀行(JBIC)など政府系金融機関による出資、融資、融資保証の上限枠で、実際に投資するかどうかは、日本の企業が利益にかなうかどうかを基に判断するとしてきた。
「こちら特報部」が当時、日米の説明の温度差について経済産業省の担当者に尋ねると「海外要人の発言を真に受けて理解するのは良くない。われわれの説明が一番正しい」と回答した。
ところが、今回、対米投資についての覚書が公表されると「日本よりも米国の説明に近い」との指摘が吹き荒れている。
◆「事業に日本企業が関わる保証なし」
野村総合研究所の木内登英(たかひで)氏は「覚書は日本政府が説明してきた内容にはとても読めない。米国主導、米国優位の枠組みの性格が強く、『令和の不平等条約』といってもいい」と断じる。

木内登英氏(資料写真)
問題の第一は「投資の主導権が米国にあること」。覚書によると、投資先は米大統領が投資委員会の推薦に基づいて選ぶ。投資委員会は商務長官をトップに米国側のみで構成される。日本は投資委員会が推薦前に審議する協議委員会に参加できるにすぎない。日本が資金提供をしない場合、米国は関税を再び引き上げられるという規定もある。
覚書とともに公表された大統領令では「投資は米国政府によって選定されるが、数十万人の米国雇用を創出し、国内製造業を拡大し、何世代にもわたって米国の繁栄を確保する」と明記された。覚書でも投資対象は「さまざまな分野」とされ、事業に必ず日本企業がかかわるとは明記されていない。
◆上がった利益がアメリカに流れる
木内氏は「米国の狙いは国内製造業の再生にある。投資も米国の都合の良いように行われる可能性がある」とみる。

9月7日、記者会見で退陣の意向を表明する石破茂首相=佐藤哲紀撮影
二つ目の問題は「投資利益の配分」。先行きの利益をみなしで推定した上で、出資金などを米国が返済するまでは日米で半分ずつ分け、完済後に利益が出た場合は米国が9割、日本が1割を取る。木内氏は「日本の政府系金融機関の支援を受けて日本企業が投資するはずの枠組みなのに、そこで上がった利益がなぜ米国に流れるのか」と批判する。
「みなし配当」というイレギュラーな仕組みにしたのは、トランプ氏の任期中に米国が利益を得るようにするためとみられる。実際、対米投資の実施期間はトランプ氏の任期が終わる2029年までだ。
◆結局「トランプ氏の政治的アピール」?
木内氏は「覚書は、口約束の合意内容を明確化し、日本側に責任を果たさせようと米国側が主導して作成された。だが、まだあいまいな部分が多く、日米それぞれ違う説明ができる状況になっている」と述べる。

6月5日、ラトニック米国商務長官(左)と会談した赤沢亮正経済再生相=内閣官房のホームページより
第一生命経済研究所の熊野英生氏も「今回の覚書は政治的な産物だ。経済の話なのに、投資が成功するかどうかといった点は全く論じられていない。投資に失敗はつき物だが、損失が出た場合の対応も書いてない」と危ぶむ。
熊野氏は「米国が投資先を選別するといった話が中心で、来年の中間選挙をにらんでトランプ氏の政治的アピールとしてできた支持者への約束だろう」との見方を示した上で、こう指摘した。「自動車などの関税の問題は大統領令で一段落したが、5500億ドルの投資はここから始まる。覚書の内容は不透明で、やってみなければわからない」
◆デスクメモ
政府系金融機関は国の政策実現を目的に、営利重視の民間金融機関では対応が難しい領域を受け持つ。だとすると対米投資でもリスクの高い大型案件をつかまされないか。日本がどこまで拒否できるのか。覚書には不透明な点が多い。石破政権と違い、この問題は終幕を迎えていない。(北)
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