いとうまい子さんが健康寿命に興味を持ち、大学で予防医学とロボット工学を学んだ理由

1983年にアイドル歌手としてデビューし、俳優としても活躍する傍ら、45歳で早稲田大学に入学した、いとうまい子さん。ロボット工学を学び、健康寿命の延伸に貢献するロボット「ロコピョン」を開発した。現在は東京大学大学院理学系研究科で研究しながら、2025年4月からは情報経営イノベーション専門職大学で教授として「ヒューニング学」を教えている。いとうさんは父親を看病、母親を介護しつつ、研究や仕事を続けてきた。それらをいかに両立させてきたか、前編・後編の連載でお届けする。(聞き手/ダイヤモンド社論説委員 大坪 亮、文/ライター 奥田由意)

社会人としての学び直しから

東大大学院の研究生までの道

――いとうさんは、俳優やタレントの仕事に加え、研究者、大学教授と、多彩なキャリアを積まれています。最初に、現在の東京大学大学院での研究について教えてください。

 東京大学大学院理学系研究科の研究生として、主にタンパク質の分子構造解析に取り組んでいます。効果のある化合物が体内で腸膜などの生体膜を通過する際、タンパク質と化合物がどのようにくっついてどう動くのか、といったことを解析しています。化合物がどのようなプロセスを経て効果を発揮するかを解明する研究です。

――早稲田大学の博士課程からの継続的な関心があるのでしょうか。

 早稲田大学の博士課程では抗老化に関心があり、「カロリー制限模倣物」を研究していました。摂取カロリーを抑えることで健康寿命が延びることは明らかになっていますが、食べたいものを食べずに我慢するのは難しいですよね。そこで、特定の化合物を投与して、細胞に「カロリーを制限されている」と勘違いさせることで、健康寿命を延ばすという研究を進めてきました。

 その化合物が生体内でどう動くかを分子レベルで研究したいと考えていたときに、分子構造学の東大教授と知り合いになりました。私が扱っていた化合物が、その先生の研究室のテーマと関連があるのではないかという話になり、研究室に籍を置かせてもらうことになりました。結果的には、カロリー制限模倣物と無関係ではないものの、新しい切り口で基礎研究に取り組む形になりました。

――2025年4月からは情報経営イノベーション専門職大学の教授に就任し、「ヒューニング学」を教えています。どのような内容ですか。

「ヒューマン(人間)」と「チューニング(調律)」を掛け合わせた造語で、楽器を調律するように、人間自身を調律するという発想の学問です。人生には仕事や介護などライフステージごとに特有の困難が訪れます。そうした渦中にあるとき、人はどうしても感情に支配されがちです。そこで、どうすれば自分の考え方の癖に気づき、論理的に状況を整理して「自分軸」を取り戻すことができるのかを教えています。

 私も過去にいろいろつらい経験をしました。不遇時代にどうやって這い上がり立ち直ってきたのかなどのプロセスを言語化して、学生たちが社会で生き抜くための「自分自身の調律法」を習得してもらうように教えています。

――そもそも40代半ばで学び直しを決意されたのはなぜですか。

 私は10代で芸能界に入りました。その後、いろいろなことがあって事務所を辞め、地獄をさまようような困難な時期もありました。それでも多くの方との出会いがあり、チャンスを頂いたおかげで、なんとか芸能界でキャリアを続けることができた。そのことへの恩返しがしたいと思っていました。

 ただ、芸能の世界しか知らないので、何もできることがなかった。大学へ行って学べば、社会に貢献できるすべが見つかるのではないかと考えたのです。

――大学で予防医学を学ぼうと思われたのはなぜですか。

 文部科学省と東京大学医科学研究所が共同して主催したプロジェクトのナビゲーター役を担当させていただいたとき、担当教授が「医学においては予防も重要なのに、一般に理解されていない」とお話しされたことが頭に残っていました。予防することで個人としては病院にかかる頻度が減るでしょうし、国としては全体医療費の削減につながります。私がその重要性を伝えるメッセンジャーになれたらいいと考え、10年に45歳で早稲田大学人間科学部eスクールに入学しました。

――しかし、いとうさんが3年生になる前に、師事しようと思っていた予防医学の先生が退職されてしまったそうですね。

 そうなのです。それで、3年生のゼミ選択で途方に暮れていたところ、同級生から、ロボット工学のゼミが面白いらしいと勧められたのです。そこからロボット工学の道に進むことになりました。

 そして、そのゼミに、現役の整形外科の医師が在籍していました。その方は、ご自身の患者さんの多くがロコモティブシンドローム(ロコモ。骨・関節・筋肉などの運動器の障害で移動機能が低下し、将来的に要介護になるリスクが高い状態)になっていくので、それをロボットで何とか変えたいと考えて入学されたというのです。お話を伺って、ロコモは今後の日本において大きな社会課題になると知りました。それで、私もロコモを予防できるようなロボットを開発できたらいいなと考えました。

――それで開発されたのが「ロコピョン」というロボットですか。

 いえ、最初からロコピョンだったわけではありません。大学生のときには、間違ったスクワットを検出するロボットを開発しました。日本整形外科学会ではロコモを予防するためにスクワットが推奨されていますが、高齢者は正しいスクワットができるとは限りませんので、間違った動きを検出してアラートを出す装置を開発したのです。

 それを国際ロボット展の早稲田大学ブースで展示していたところ、神戸のセンサー企業の方が「この先も研究を続けるなら何かお手伝いしたい」と声をかけて下さいました。大学卒業でこの研究は終わりと思っていましたが、まだ恩返しができていないと感じていたので、その方の一言をきっかけに大学院進学を決めました。

――いろいろなご縁を大切にされながら、キャリアをひらいていかれたのですね。

 大学院修士課程では、その企業の方と共同で「ロコピョン」を開発しました。モーターで動く卓上型ロボットで、独居で暮らす高齢者が自宅でスクワットを一緒にできるように設計しています。1日3回、決まった時間にお年寄りがそばに来るまでロコピョンは呼び続けます。高齢者は「面倒くさい」とか「疲れた」と言ってスクワットをやりたがらないので、強制的にやってもらう仕組みです(笑)。

 何回スクワットをするかは本人に決めてもらい、スクワットを終えると「お疲れさまでした。今日も元気に過ごしましょう」などとロコピョンが声を掛け、遠く離れたご家族など任意のアドレスに「今日は●回やりました」とお知らせメールを送ります。ロコモ対策と見守り機能を兼ねているのが特徴です。

――高齢者ユーザーの反応はいかがでしたか。

 最初は合成音声を使っていたのですが、心に響かない感じでした。そこで、私が全てのセリフのパターンを吹き込んで改良しました。

 論文を書くためにデータを取る必要があり、あるご家庭にロコピョンを貸し出したことがあります。お母さんは積極的に協力してくださったのですが、お父さんは「こんなのやりたくない」と最初は嫌がっていたそうです。ところが2カ月後に引き取りに行ったら、お母さんが「お父さんはこの子とスクワットするのが楽しみで、呼ばれる前からロコピョンのそばに行っていたのよ」とおっしゃるのです。「この子がいなくなったらスクワットできなくなるなあ」と残念がってくださって、心の交流ができたのかなとうれしく思いました。

 ただ、私が所属していたロボット工学研究室では博士課程がなかったため、予防医学の関連で、生命科学領域での抗老化についての研究に転向しました。

寝たきりの父の姿を見て

健康寿命延伸への思いが強まった

――個別具体的なテーマは変わっても、一貫して、健康寿命や介護といった領域での関心に支えられて研究を続けていらっしゃるのですね。

 人がいかに健康で長生きできるかということが社会課題として、非常に重要だと思っています。「人間が健康で幸せに暮らす方法」をずっと探っているのかもしれません。

――研究対象として、介護や予防医学、健康寿命について関心を持ってこられたわけですが、ご自身の私生活では、ご両親の看護と介護に直面されます。まず、お父様の看病についてお聞かせください。

 13年ごろ、父ががんに罹患しました。父は離れたところに住んでいたのですが、入院したため、そこに通って病院の方と連携を取りながらの看病が始まりました。私が45歳で大学に入学して3年目の頃でした。

 父は徐々に歩けなくなっていきました。ある日、トイレに行きたいと言うので連れていこうとしたのですが、寝たきりになると筋力がなくなり、自分の体を起こすこともできないのです。私一人ではとても起こすことさえできませんでした。看護師さんと2人がかりで車椅子に乗せて、トイレに連れて行っていただきました。

 そのとき、父がどんな状態で過ごしているのだろうと思って、父が寝ていたベッドにごろんと横になってみたのです。見えるのは無機質な天井だけ。自分で起き上がることもできないから周りを見渡すこともできない。「ああ、こんなふうに何もできない状態で、日がな一日、横になっているだけなんて、なんて切ないんだろう」と思いました。

 ちょうどその頃、ロコモ予防について勉強していたのですが、父の姿を見て、自分の足で動けることの大切さや、スクワットを続けることの意義を痛感しました。ロボットを作ろうという気持ちが一層強くなりました。

――健康寿命の延伸への思いが強まったのですね。

 予防医学をやりたいと思っていたときは、健康寿命の延伸という意識は薄かったのです。しかし、父の姿を目の当たりにして、歩けなくなることがどういうことかを実感しました。

 日本では平均寿命と健康寿命の差が男性で約9年、女性で約12年あるといわれています。以後、いかに健康寿命を延ばしてその差を縮めるかに、強い関心を抱くようになりました。

【プロフィール】

いとうまい子

1964年愛知県生まれ。歌手、俳優、タレント、研究者、大学教授。1983年にアイドル歌手としてデビュー。2010年に早稲田大学人間科学部eスクールに入学し、2014年卒業。同大学院人間科学研究科修士課程に進学し在籍中にロコモティブシンドローム予防ロボット「ロコピョン」を開発。2016年に修士課程修了後、博士課程で基礎老化学を研究。現在は東京大学大学院理学系研究科で研究を続けながら、2025年4月から情報経営イノベーション専門職大学で教授として「ヒューニング学」を教える。

>>俳優・大学教授・研究者 いとうまい子さんインタビュー(後編)へ続く