「EVを9か月で完成させたんだって」──大手IT企業が車両開発に挑戦、上場廃止で既存メーカーとの競争構造どう動くのか
モビリティDX戦略と日本の停滞
経済産業省がまとめた「モビリティDX戦略」では、日系のソフトウェア定義車両(SDV)の世界販売を2030年に1200万台、世界シェア3割まで引き上げる目標が掲げられている。世界ではソフトウェア化と電気自動車(EV)化を背景に新興企業が相次いで生まれているが、日本ではユニコーン級のスタートアップはほとんど見当たらない。そうした状況のなか、日本のIT企業であるSCSKがEVコンセプト車を開発し、モビリティ分野への本格参入を打ち出した。
【画像】ヤンキーが「高級車」に乗れる理由
いま世界の自動車産業では、電動化、ソフトウェア化、自動運転、コネクテッド化が同時に進んでいる。変化の速度は速く、従来の完成車メーカーに加え、IT企業や新興企業が相次いで参入している。象徴的な例が米国のEVメーカー、テスラの台頭だ。中国でもスマートフォンメーカーのシャオミがEV事業に乗り出し、IT企業による車両開発が広がっている。短い期間で市場を広げ、これまでの車づくりの常識を揺さぶった。
一方、日本で新興企業が育ちにくい理由のひとつは、トヨタ、ホンダ、日産といった大手メーカーが築いてきた産業構造にある。日本の自動車産業は完成車メーカーを頂点とする垂直型のサプライチェーンで成り立ってきた。この仕組みは高品質な製品を生み出す強みを持つが、
「外部からの参入の余地」
を広げにくい面もある。さらに、日本では長い間ハイブリッド車が電動化の中心だった。プリウスに象徴される技術の成功が、EVに特化した新興企業が育つ土壌をつくりにくくしてきた側面もある。
もうひとつ見逃せないのが、株式市場の視線だ。短期的な収益を重視する空気は、巨額の先行投資が必要なソフトウェア開発と必ずしも相性がよくない。SCSKが本日2026年3月12日に上場を廃止し、
「住友商事の完全子会社」
となる決断は、こうした市場の圧力から距離を置く意味合いもあるだろう。商社の資金力と世界的なネットワークを背景に、既存の産業の内側から変化を起こそうという試みだ。住友グループという大きな資本を背にした、組織的な挑戦ともいえる。
EV開発の迅速性

車載システムの開発実績(画像:SCSK)
SCSKのEVプロジェクトは、これまでの車づくりの常識とは少し違う位置にある。SCSKはシステム開発やクラウド分野を主な事業としてきた。2025年のジャパンモビリティショーで公開したEVコンセプト車は、完成までにかかった期間がわずか9か月だった。一般的な車両開発では3年から5年ほどかかることが多い。それと比べると、かなり短い。海外企業との分業や部品の共通化を進めたことで、この期間を大きく縮めたという。
この開発の速さを支えたのが、グループ内の技術だ。2024年に子会社となったネットワンシステムズの通信技術に加え、ベリサーブが持つソフトウェア検証の力も使われている。実物の車両で行う試験を減らし、デジタル空間での検証を中心に進めたことも大きい。車体の土台などは外部から調達し、制御ソフトウェアの開発に資源を集中させた。車の価値をどこで生むのかを見極めたうえでの進め方といえる。
公開された車両には、8K画質の44.6インチ大型ディスプレイを備えた「インテリジェント・コックピット」が搭載されている。AIが利用者の好みに合わせて空調を調整したり、観光情報を提案したりする機能を持つ。車内で過ごす時間そのものに目を向けた内容だ。
このEVは量産を前提にしたものではない。ソフトウェアを中心に据えた新しい開発の考え方を示すためのモデルである。従来のように走行性能を主な競争軸とする車づくりとは少し方向が異なり、車内のデジタル体験を優先している。IT企業が車両開発に深く関わる余地があることを示した形だ。
背景にあるのは、ソフトウェアが車両の価値を左右する「SDV」という考え方である。機械の性能だけではなく、AIや機能更新によって価値を高め続けるという発想だ。自動車は移動のための機械というだけでなく、更新され続けるデジタル製品へと姿を変えつつある。
モビリティOS企業の志向

モビリティサービス一覧(画像:SCSK)
同社の戦略を理解するうえで押さえておきたいのは、同社が完成車メーカーを目指しているわけではない点だ。狙いはむしろ別のところにある。ソフトウェアが車の価値を左右する時代に、基盤となる部分を担うことだ。
これまでの自動車産業では、エンジンやシャシーといった機械部分が競争力の中心だった。しかし今後は、車載OSやクラウドとの連携、機能更新、AIサービスなどが収益の源になると見られている。IT企業が産業の中心に関わる余地が広がっている。
SCSKは40年以上にわたり車載ソフトウェアの開発に関わってきた。完成車メーカーとの関係も長い。また、世界的なソフトウェア取引市場であるSDVerseにも参加し、存在感を高めようとしている。従来の車づくりでは、ひとつの企業が多くの領域を抱え込む形が一般的だった。今回のプロジェクトではその形を取らず、得意分野を持つ企業と組む水平型の分業を採用している。このやり方は開発の速さを高め、費用を抑える効果も見込める。
同社が見据えるのは、自社のERPパッケージ「ProActive」で培った大規模システムの運用力を、車両全体を動かす基盤へと広げることだ。上場廃止で、短期的な株価の動きに振り回されず、長い視点で基盤づくりに取り組める体制が整う。部品を売って一度だけ利益を得る形ではなく、OSのライセンスや機能更新のサービスによって収益を積み上げていく。そうした仕組みへの転換を見据えているだろう。
住友商事が持つ世界の物流や商流のネットワークと、SCSKの技術が組み合わされば、移動そのものの事業の形も変わる可能性がある。車両を売るだけではない、新しい価値の生み方が視野に入っている。
ソフトウェア主導への競争環境

SCSKのウェブサイト(画像:SCSK)
SCSKの取り組みが、すぐに既存メーカーの地位を揺るがすわけではない。車両の安全性や品質管理、生産能力、販売網など、日本のメーカーが長く積み上げてきた強みは依然として大きい。ただ、競争の重心がハードウェアからソフトウェアへ移りつつある流れは避けがたい。SCSKの動きは既存メーカーと正面から競うものというより、産業全体の変化を促す刺激として受け止めるべきものだろう。
IT分野では、日本は米国や中国に後れを取ったままだ。もし今回の変化にも対応できなければ、基幹産業の力そのものが弱まりかねない。国内企業が従来のように多くを自社で抱え込むやり方に固執すれば、海外の巨大企業にシステムの中枢を握られる可能性もある。そうなれば、日本は外側の箱を組み立てる役割にとどまるおそれがある。2030年に掲げた1200万台という目標も、価値の高い部分を他国に握られれば、台数だけが残る結果になりかねない。
SCSKは今後、住友商事と一体で事業を進めることになる。この判断は、短期的な利益よりも将来の産業の土台を見据えたものといえる。今回の動きを、IT企業の参入という一例で片づけてしまうのは早計だろう。日本のメーカーが自らの壁を越え、ITの力をどう取り込むのか。そこが今後の立ち位置を左右する。これまでの慣習に揺さぶりをかけるこの試みは、停滞感が続く産業に新しい動きをもたらす可能性がある。
産業基盤への挑戦

ソフトウェア主導モビリティDXへの挑戦。
2030年にグローバルで1200万台、世界シェア3割を目指すという目標は高い壁である。しかし、従来のやり方に固執していては達成は難しい。上場廃止を経て、住友商事と一体になるSCSKの判断は、短期的な数字よりも、長期的に産業の基盤を作ることを優先した決断だろう。わずか9か月でEVを完成させた事実は、これからの競争で開発速度がいかに重要かを示している。
日本の完成車メーカーは、安全性や品質という強力な武器を持つ。しかし、ソフトウェアによる変化に対応する速度には課題が残る。IT企業の技術を外部からの参入として拒むのではなく、共通の目的のために協力できるかどうかが、産業全体の未来を左右する。
車が常に進化する製品へと変わるなか、これまでの成功の仕組みを変える勇気が求められる。SCSKの挑戦は、日本が世界で再び存在感を示すための重要なきっかけとなるだろう。