「精を出さないオス」が長生きするワケ【男女の寿命差の意外な仕組み】

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絶倫は生命力にあふれている。そんなイメージを持つ人は多いだろう。だが実際には、精を出さないオスのほうが長生きするという結果が報告されている。さらに興味深いことに、卵を作れないメスは、むしろ寿命が短くなる。なぜ、生殖と寿命はここまで複雑な関係にあるのか。魚を使った研究から、「男女の寿命差」の意外な仕組みが見えてきた。※本稿は、細胞生物学者の吉森 保『私たちは意外に近いうちに老いなくなる』(日経BP)の一部を抜粋・編集したものです。
なぜ魚が老化研究に使われるのか?
そこには明確な理由がある
実験動物に魚を使うのは珍しくはありません。
特に日本では非常になじみのあるメダカが有名です。メダカは江戸時代から庶民が趣味で繁殖させてきた魚です。
同じ仲間内でかけ合わせて品種改良が続けられたことで、遺伝子もほぼ均一なので実験動物としては扱いやすく、明治時代から使われています。色が違ったり、サイズが違ったり、動きが違ったりといった個性もあるので集団遺伝学の研究にも最近は使われています。
魚は水生生物なので、注射をしなくても実験に使いたい薬品などを水中から体に取り込めます。体が小さいので細胞の状態を把握しやすいというメリットもあります。飼育もマウスに比べて簡単で、何よりも場所をとりません。
メダカはどちらかというと日本の研究者が実験に使う傾向にあります。
海外で広く使われている魚はゼブラフィッシュです。ゼブラフィッシュは、簡単に飼えるし、受精後たった1日で、脳や血管の大まかな形ができあがるのでメカニズムを研究するのにも最適でした。
一方、寿命は、人が飼育するとメダカは平均寿命は約2年、ゼブラフィッシュは3年程度生きます。マウスに比べて寿命が極端に短いわけではありません。
雨季と乾季のサイクルにあわせて
卵を残すためにすぐ死ぬ魚
その点、キリフィッシュの寿命は3~4カ月なので明らかに短いです。
キリフィッシュを研究することで、外見が似ている小型の魚なのになぜ寿命が5倍以上違うかも比較できます。
また、興味深いことに、キリフィッシュは生息地によって寿命が2倍くらい異なる場合もあります。同じキリフィッシュ同士でも比べることで、寿命に関するヒントが得られる可能性もあります。
キリフィッシュは半乾燥地帯の雨季にだけ発生する水たまりのようなところで生きています。卵は土の中で乾燥に耐えながら乾季を過ごします。
雨季がやってきたら一気に孵化して、卵を産み、死にます。雨季と乾季という気候のサイクルに合わせるため、つまり自分が生きている環境に合わせて寿命が短くなったと考えられています。
キリフィッシュが生息するのはアフリカ南部なのですが、おもしろいのはその限られた中でも地域性があるところです。
たとえば雨季が3カ月の場所もあれば、6カ月の場所もあります。自分が住む場所での雨季の期間によって寿命が変化します。平均寿命が3~4カ月程度のキリフィッシュもいれば、6カ月程度のキリフィッシュもいます。

同書より転載
「これは環境に適応するためであって、寿命が短いキリフィッシュも研究室に持ち帰れば、長生きするのかも」つまり、乾季が訪れなければ寿命がのびるかもしれないと、ふと思うのですが、実際には、研究室で飼っても寿命は変わらないそうです。
生まれつき、3~4カ月しか生きないキリフィッシュはどう頑張っても6カ月は生きられないのです。寿命が遺伝的にプログラムされているんですね。
ちょっとした遺伝子配列の違いが寿命の違いにつながっているのです。
この違いを比べることで、長寿につながる何かがわかる可能性があるのではと石谷太先生(大阪大学微生物病研究所教授)は指摘します。
アフリカの魚から得られたデータが
日本の人間の老化を解明してくれる
キリフィッシュの遺伝子情報からは、積極的に寿命を短くする変異があることも報告されています。
また、さきほど言及した、それぞれ寿命が違うキリフィッシュを比較したときにも、老化に関わる遺伝子に種類があることがわかってきました。
このように、いくつかの系統を比較することで、老化に関わる遺伝子を探れる可能性は高まっています。
では、具体的に、キリフィッシュを使ってどのような実験が行われて、老化の何がわかってきているのでしょうか。
石谷先生が注目しているのが「代謝産物」です。
代謝とは生物の体の中で起こる化学反応のことです。そして代謝産物とは、体の中にできるもののことで、たとえば人間の社会に置きかえていうと、人そのものではなく、人がつくりだす工業製品や食品のイメージです(ちなみに、体の中でいう「人」とはたんぱく質のことです)。
肝臓が代謝の中心を担いますが、肝臓でつくられるグリコーゲンやビタミンなどが代謝産物です。
石谷先生が、なぜ、代謝産物に注目したかというと、「生物がつくりだす代謝産物は、どんな生き物もあまり変わらないのでは」と考えたからです。
このキリフィッシュでの研究の成果を、人の老化とつなげるなら、さまざまな問題があります。
たとえば、生物を構成するたんぱく質の構造は、キリフィッシュと人では同じ哺乳類でも違います。
たとえば、マウスでも、人の病気の治療に開発した薬がマウスではうまくいったものの、人にはまったく効かないケースもよくあります。それはマウスと人では、薬の標的にしたたんぱく質の配列や構造が違うからです。
一方で、代謝産物は人が生み出すものでも魚が生み出すものでも変わりません。生物の種をこえて同じです。
ですから、代謝産物で寿命との関係性がわかれば、魚でわかったことをそのまま人でも使えます。
精子を作れないオスと
卵子を作れないメスの寿命
「女性の方が男性より長生き」という事実は、世界中で観察される現象です。
実はこの寿命の性差は人間だけでなく、多くの動物でも見られます。しかし、なぜそうなのか、そのしくみは長年の謎でした。
石谷先生はターコイズキリフィッシュを使って、この謎の解明に大きく近づきました。
実験では遺伝子操作によって生まれつき精子や卵子をつくれないキリフィッシュをつくり出しました。すると驚くべきことが起きました。
精子をつくれないオスは、通常より13%も長生きしたのです。筋肉の再生能力が維持され、皮膚のコラーゲン層も厚く保たれ、骨量も多い状態が続きました。
一方、卵子をつくれないメスは逆に7%寿命が短くなってしまいました。
最も興味深いのは、生殖細胞を除去すると、もともとあったオスとメスの寿命差がほぼなくなってしまったことです。
つまり、精子と卵子の存在こそが、寿命の性差を生み出していたのです。
では、なぜ精子がないとオスは長生きするのでしょうか。詳しく調べると、精子をつくれないオスの肝臓では、代謝産物であるビタミンDを活性化する酵素が大量につくられていることがわかりました。
このビタミンDが全身に運ばれ、筋肉、皮膚、骨の老化を抑制していたのです。
実際、通常のキリフィッシュにビタミンDを投与すると、オスで21%、メスでも7%寿命がのびました。ビタミンDが「アンチエイジングホルモン」として働く可能性が示されたのです。

『私たちは意外に近いうちに老いなくなる』 (吉森 保、日経BP)
そして、メスの方では生殖細胞がビタミンDを制御していなさそうです。メスの生殖細胞を抜くとビタミンDでなく、女性ホルモンが減ったり老化を加速するIGFという成長因子が増えるのがわかってきています。
この発見は魚だけの話ではありません。
北イタリアでは、長生きする人が多い地域の研究で、100歳以上の高齢者は「ビタミンDが体の中でよく働いている」可能性があると報告されています。また、血液中のビタミンDがとても少ない人は、がんになる危険性が高いこともわかっています。
石谷教授は「生物にとって世代交代は必要で、種としての存続が最も大事。だからこそ積極的に老化する遺伝子を持っている」と語ります。
生殖と寿命のトレードオフは、生命の本質的なしくみなのかもしれません。
この研究は、老化のメカニズム解明と健康長寿の実現に向けた重要な一歩となりました。将来的には、個人の遺伝子や代謝物の情報から健康寿命を予測し、適切な対処法を提供できる時代が来るかもしれません。