高市積極財政でなぜ円高にならないのか?「マンデル=フレミングモデル」の前提と異なる日本経済の処方箋

衆院予算委員会で答弁に臨む高市早苗首相=12月9日 Photo:SANKEI
10年国債金利1.9%台、18年半ぶり高水準
積極財政で円安が進むモデルとの“齟齬”
高市早苗氏が自民党総裁選に勝利した前後から、金融市場は「高市トレード」で株価が高騰するなど、積極財政・金融緩和路線への期待から活況となったが、このところは、株価も調整局面に入り、債券安、円安の「トリプル安」の状況が目立っている。
とりわけ長期金利の指標となる新発10年国債の利回り上昇(債券価格下落)は目立っており、12月8日には、一時、1.970%と2007年7月以来約18年半ぶりの高水準となった。
高市首相が、手本とするアベノミクスでも、基本的な理論としてその前提にしていた「マンデル=フレミングモデル」では、本来なら財政拡大は、金利上昇で円高をもたらす。
だが現実は、円ドルレートは、11月20日に、約10カ月ぶりの1ドル157円台の円安になるなど、政権発足前日の10月20日からの1カ月間で7円円安が進み、今も円安基調だ。
このモデルは現実にあわず、「サナエノミクス」は間違った理論をもとにしているのだろうか。
少なくとも、いまの日本経済をこのモデルが的確に説明しているとはいいがたい。このモデルを依拠しているだけでは、日本経済を正しく活性化することにはならないだろう。
実際、サナエノミクスは、日本経済の現状認識について重要な視点が“欠落”している。
「マンデル=フレミングモデル」とは何か
「開放経済」では積極財政は経済拡大効果持たず
マンデル=フレミングモデルは、初等的なマクロ経済学の教科書にも登場する基本的なモデルの1つであり、「開放経済」つまり完全な資本移動と変動相場制のもとで、財政政策や金融政策がどのような効果をもたらすかなど、マクロ的な均衡を分析するための標準的なモデルだ。
若干、教科書的になるが、まず、このモデルについて説明することにしたい(なお、このモデルに関するいま少し詳しい説明は、野口悠紀雄『世界経済危機 日本の罪と罰』、(ダイヤモンド社、2008年)、『未曽有の経済危機 克服の処方箋』(ダイヤモンド社、2009年)を参照)。
このモデルでは、変動相場制と国際間の自由な資本移動を仮定した場合、財政政策は無効という結論が得られる。その理由は次の通りだ。
図表1で、縦軸には金利(i)、横軸には産出高(Y)を目盛ってある。「IS曲線」は、財市場における均衡をもたらす金利と産出高の関係を表す。金利が低下すれば投資支出が増大し、産出高が増える。したがってIS曲線は右下がりの曲線だ。
一方、「LM曲線」は、貨幣市場における均衡をもたらす金利と産出高の関係を表す。貨幣供給量を一定とすれば、産出高が増えれば貨幣の取引需要が増大するので、資産保有需要を減少させるため、金利が上がる。したがってLM曲線は右上がりになる。
経済の均衡は、IS曲線とLM曲線の交点Aによって与えられる。
政府支出が増大すると、IS曲線は右上方にシフトする(IS’)。したがってLM曲線との交点はBとなり、均衡産出高が増加する。そして金利が上昇する。これは、財政拡大がGDPを増大させるというケインズ経済学の基本的な主張を表わすものだ。
以上がマクロ経済学の標準的な結論だが、マンデル=フレミングモデルは開放経済、つまり海外との資本取引や貿易が自由な世界を考える。
この場合には、結論は次のように修正される。
均衡点Bでは、元の均衡点Aに比べて金利が上昇している。このため、海外からの資本流入が増大する。このため円高になる。このため、輸出が減って輸入が増え、IS曲線が左にシフトする。この動きは、金利が元の水準に戻るまで続く。したがって、最終的な均衡点は、元の位置(A)まで戻ってしまう。
このように、開放経済で変動為替制の場合には、財政政策の経済拡大政策効果は、自動的に打ち消されてしまう。これがマンデル=フレミングモデルの第1の結論だ。
ところが、現在の日本経済を見ると、高市政権が拡張的財政政策を行ない、金利が上昇しているにもかかわらず、顕著な円安が進んでいる。
金融緩和政策は経済拡大効果を持つ
異次元緩和に理論的な基礎
図表2は、金融緩和政策の場合を示す。この場合には、LM曲線が右方にシフトする(LM’)。したがって、IS曲線との交点Bで表される均衡産出高は増加し、利子率は低下する。
このため、海外との金利差が拡大し、資本が流入して円安が進む。輸出が増加し輸入が減少して、IS曲線が右にシフトし、均衡GDPはさらに増加する。これが、マンデル=フレミングモデルの第2の結論だ。
以上の結論は、金融緩和政策を正当化する理論として用いられてきた。つまり、マクロ政策によって経済を拡大しようとするのであれば、財政拡大ではなく、金融政策による必要があるということだ。
この議論は、アベノミクスが導入される時点の日本で、積極的に主張された。そしてマンデル=フレミングモデルは、異次元金融緩和を支える理論的な基礎と考えられてきたのだ。
人手不足で物価上昇、実質の産出高は増えず
「サナエノミクス」の欠落、供給面の制約改善
いまマンデル=フレミングモデルが議論の対象となっているのは、拡張的な財政政策が円高をもたらすかどうかについてだ。
現在の日本では、財政拡張が行われているにもかかわらず、そして長期金利が上昇しているにもかかわらず、円高にならず、逆に顕著な円安が進行している。これはマンデル=フレミングモデルが主張するのとは正反対の事態だ。
なぜこうした現象が起きているのか?
例えば、財政拡大がインフレ期待を高めると、名目金利は一定でも実質金利は低下し、円安圧力が強まることや、完全な資本移動のもとでも、為替リスクや規制、地政学的要因などで金利差だけで資本が動くとは限らないなどの要因もこれまで指摘されてきている。
現状の日本経済に即してこのモデルが必ずしもあてはまらないのは、マンデル=フレミングモデル(あるいは、その基礎となっているIS=LM分析)が、大きな仮定の上に成り立っているからだと筆者は考えている。
それは、物価水準が一定という仮定だ。そして、供給は無限に弾力的であるという仮定だ。つまり、経済に供給制約がなく、経済規模を決めるものは総需要だとする仮定だ。
しかし、現在の日本を考えた場合に、この仮定は大いに問題だ。現在の日本は、供給面の厳しい制約に面している。特に労働力不足のために、需要が拡大すると物価が上昇してしまう。
そして、潜在成長率はほとんどゼロだ。このような経済で、需要拡大策を行えば、物価が上昇する。そして実質の産出高は増加しない。金融政策によっても財政政策によっても、同じことだ。
前回の本コラム「高市政権の『総合経済対策』は『高市トレード』から『トリプル安』への転機!?財政拡張に警戒感強める市場」(2025年12月14日付)で指摘したように、現在の日本にとって重要なのは、需要を増やすことではなく、長期的な潜在成長率を引き上げることだ。そのために供給面の条件を改善する必要がある。
そうした経済の分析のために必要とされるのは、物価上昇と供給制約を明示的に考慮したマクロモデルだ。
マクロ経済学では、総需要だけでなく、総供給をも考慮した「総需要・総供給のモデル」が構築されており、すでに教科書レベルのものとなっている。日本経済の分析のためには、IS-LM分析やマンデル=フレミングモデルのような総需要のみを対象とするマクロモデルではなく、総需要・総供給のモデルを用いて考える必要がある。
現実の経済政策も同じだ。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)