「300kmで十分だ」トヨタがタイで挑む執念の防衛戦――中国EVの猛攻に“聖域”ピックアップは耐えられるか?

タイ市場の1トン戦線

 2025年11月、トヨタ自動車はタイで新型「ハイラックス」を世界初公開した。同時に、2025年末からのバッテリー式電気自動車(BEV)モデルの生産開始も明言している。かつてその活況から「東洋のデトロイト」とも呼ばれたタイの自動車販売において、販売シェアの約4割を占めるのが「1トンピックアップトラック」に分類される車種だ。そして、そのうち80%超を、長年トヨタといすゞ自動車の2社で分け合ってきた。

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 タイの人々にとってピックアップは、日々の物流や農業を支える稼ぎ手であると同時に、家族全員の移動を担う生活の基盤となっている。加えて、中古車市場での価格が極めて安定しているため、購入後も価値が目減りしにくい重要な資産としての側面も持つ。

 しかし、既にタイのEV市場でシェア8割超を奪取した中国メーカー勢の影が、この強固な地盤にも忍び寄ってきた。トヨタが投じるハイラックスBEVは、既存のラインアップを拡充する以上の意味を持ち、中国勢の攻勢に対する決定的な防波堤としての役割を担っている。

1トンピックアップ市場の砦

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BYD SHARK 6(画像:BYD)

 タイの自動車市場において、全体の販売約40%を占めるピックアップトラック市場は、長らく日本メーカーが支配してきた聖域である。しかし、比亜迪(BYD)などの中国メーカーが乗用車市場を席巻した勢いのまま、ピックアップ市場への攻勢を強めたことで、その牙城が揺らいでいる。

 日本では2~3%といわれるEV普及率だが、タイではすでに12~13%を数えるまでになった。この背景には、先行して市場を切り崩した中国メーカーの台頭がある。

 BYDの「SHARK」をはじめとする電動ピックアップの足音が聞こえる中、トヨタには強い危機感がある。都市部の先進層が最新のIT機能を備えた中国製EVに惹かれる一方で、地方の実用層にとって車両の故障は即座に生活の破綻を意味する。

 トヨタは、長年培ってきた「壊れない」という圧倒的な信頼を維持しつつ、BEVの選択肢を先んじて提示することで、顧客の他社流出を何としても阻止しなければならない。

宿敵いすゞとの「競争均衡」

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いすゞ D-MAX BEV(画像:いすゞ自動車)

 トヨタが2025年末に生産を開始する背景には、最大のライバルであるいすゞ自動車の動向も深く関わっている。いすゞは「D-MAX BEV」を2025年4月に欧州へ投入し、タイ国内でも同時期に生産を開始した。

 完成車輸入主導で市場を奪おうとする中国勢に対し、いすゞとトヨタの両社は現地生産を貫く。これにより、タイ国内の広大な部品メーカー網や雇用を自社のエコシステムに囲い込み、国家レベルでの防衛網を構築する狙いがある。

 日系メーカーが数十年にわたって築いた産業クラスターは、新参のメーカーが容易に模倣できない参入障壁として機能する。トヨタにとって、いすゞとの健全な競争を維持しながら足並みを揃えて現地基盤を守ることは、タイにおける複占体制をBEV時代へ引き継ぐための必須条件といえる。

 トヨタがタイでの実績にこだわる理由は、この国が世界屈指の自動車生産能力を誇っているからだ。タイの年間生産能力は150万台から200万台とされ、世界10位、東南アジアでは最大の43%というシェアを占めている。

 そして、生産の約60%は世界100か国以上に輸出されており、ピックアップトラックに限れば世界最大の輸出量を維持している。中国メーカーにタイ国内のシェアを奪われることは、タイにおける生産基盤の減退を招き、世界への供給能力を失うことに直結する。

 そもそもタイは、トヨタやいすゞ、ホンダら日系自動車メーカーにとって海外収益の大きな柱である。こうした背景から、タイの自動車市場は日中メーカーのグローバルな生存をかけた直接対決の場として、極めて重要な意味を持っている。

航続300kmリアリズム

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ソンテウ(画像:写真AC)

 新型ハイラックスBEVのスペックに対し、市場からは「航続距離300kmは短いのではないか」との指摘も上がる。しかし、これは用途に合わせて最適な動力を提供する「マルチパスウェイ(全方位)」戦略をとるからこそ導き出された合理的な判断だ。300kmという距離は、パタヤなどで見られる乗り合いバス「ソンテウ」や、都市部でのルート配送といった用途には十分な数値である。

 商用利用において、過度な大容量バッテリーの搭載は車両重量を跳ね上げ、肝心の積載能力を損なうばかりか、車両価格の上昇を招いて事業者の採算性を悪化させる。あえて容量を抑えることで実用的な価格帯を維持し、長距離移動や重積載には引き続き自社のディーゼル車を推奨する。

 短距離のルーチンワークにはBEVを、タフな用途にはディーゼルをという使い分けが、トヨタの提示する現実的な理想なのだ。さらに、2028年以降を目途にハイラックスの燃料電池車(FCV)モデルの開発も進めており、これも多様なエネルギーの選択肢を確保する姿勢を象徴している。

 一方で、この防衛戦には克服すべきリスクも存在する。第一に、タイ政府の補助金政策「EV3.5」への対応だ。補助金を受ける条件として現地生産が義務付けられているが、需要の実態がともなわなければ、過剰な在庫を抱えてキャッシュフローを圧迫する懸念がある。第二に、インフラ整備の遅れだ。

 バンコク圏以外での急速充電器の普及は道半ばであり、地方での商用利用には依然として壁が高い。そして最大の脅威は、中国メーカーによる大規模な価格攻勢である。圧倒的な規模の利益を背景に低価格モデルを投入されれば、いかに強固なブランド力を持つハイラックスといえど、厳しい戦いを強いられる可能性がある。

タイ成功が示すASEANソフトランディング

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タイ(画像:写真AC)

 トヨタがタイで進める戦略は、急進的なEVシフトによって在庫過多や価格競争に喘ぐ欧州や中国市場の混乱に対する、ひとつの明確な回答である。ハイラックスBEVの成否は、特定車種の売れ行きにとどまらず、新興国において持続可能な電動化がビジネスとして成立するかを占う重要な指標となるだろう。

 日本メーカーがASEANでの収益力を維持し、産業の空洞化を避けるためには、技術の優劣を競うだけの戦いに終始してはならない。タイはオーストラリアや南アフリカといった右ハンドル市場へ製品を供給する重要拠点であり、ここでの勝利は世界の右ハンドル経済圏を維持することを意味する。

 タイ政府との強固な連携を維持し、長年築き上げた販売・整備網という顧客との物理的な信頼関係を最大限に活かして利便性を提供し続ける。この執念深い防衛戦を勝ち抜くことこそが、日本メーカーの生き残りをかけた唯一の道といえる。