高所得者は保険料を支払った割に年金が少なく、低所得者は見合わないほど多くの年金額を得られるワケ

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今の日本社会では、高齢の資産家がわずかな社会保険料で済む一方、現役世代は重い負担を背負っているようにも見える。これは制度の欠陥なのか、それとも何らかの合理的な設計思想があるのだろうか。※本稿は、学習院大学教授の鈴木 亘『入門 社会保障の経済学』(新世社)の一部を抜粋・編集したものです。

教育や外交、防衛、警察、消防も

市場の失敗を是正する資源配分

 経済学の観点から見ると、政府が行うほとんどの政策は、本来、資源配分の効率化政策か、所得再分配政策のどちらかに分類することができます(注1)。

 一見、経済と無関係に見える教育や外交、防衛、警察、消防といった施策でさえも、実は公共財や外部性など、市場の失敗を是正するために行われる資源配分の効率化政策と見ることができます。社会保障についても、もちろん例外ではありません。

 社会保障の5つの制度も、資源配分の効率化政策と所得再分配政策のどちらかに分けることができます。図表1-1を、見てみましょう。

同書より転載

(注1)もちろん、現実には、結果的にどちらにもなっていないとか、どちらにもなっているという政策もあります。しかし、本来のあるべき姿としては、資源配分の効率化政策か、所得再分配政策のどちらかに分類されるべきと言えます。

 一番右にある欄が、社会保障制度の経済学上の分類を示しています。社会保険と公衆衛生、少子化対策は、資源配分の効率化政策と見ることができます。

 まず、公衆衛生については、伝染病予防やたばこ対策、食品衛生などは外部性、下水道は公共財に当たりますから、市場の失敗の是正策ということで、資源配分の効率化政策であることは明らかです。

 次に、少子化対策の代表的施策は保育、そして、児童手当などの子育て世帯向けの給付金、長時間労働是正などの働き方改革ですが、これらは全て、市場の失敗を是正する資源配分の効率化政策と言えます。

企業が女性一般を

結果的に差別してしまうのは...

 まず、保育については、労働市場の中で、情報の非対称性がもたらす女性差別を緩和していると考えられます。我が国の労働市場では、採用や昇進の機会、賃金水準などにおいて、男女差が大きいことが知られていますが、こうした女性差別は、情報の非対称性に主な原因があります。

 日本企業は、労働者に多額の教育訓練投資を行い、それを長期雇用によって徐々に回収するビジネスモデルになっています。このため、結婚や出産ですぐに辞めてしまう女性労働者に対しては、投資が回収途中で無駄になりますから、教育訓練投資をあまりしなかったり(結果として昇進機会や賃金に差が出る)、そもそも総合職などの採用を少なくしたりします。

 もっとも、女性の中にも、男性と同様にキャリアを追及して、継続的に就業しようとする女性が必ずいますから、そういう女性をきちんと区別し、男性同様、教育訓練投資をすれば良いと思われるかもしれません。

 しかし、企業は、その女性がすぐに辞めるつもりなのか、結婚・出産後も働き続けるのか、情報の非対称性があって区別できないという問題があります。このため、女性一般を、結果的に差別してしまうのです。これを経済学では、情報の非対称性に基づく統計的差別と呼びます。

 しかし、政府が補助金を出して保育所をたくさん整備すれば、女性は子どもを保育所に預けて就業を継続できます。

 情報の非対称性は変わらなくても、結果的に、結婚や子育てを機に辞める女性が少なければ、企業は女性を差別する必要がなくなります。

 女性差別が緩和され、生産性の高い女性労働力が増えるならば、我が国の生産、所得を効率的に高めることができます。

子育て世帯に対して金銭給付や

独身者への結婚支援は正当

 また、日本企業は昔から、長時間労働や頻繁な転勤など、労働者の結婚や出産にとって大きな障害となる勤務体制をとっています。これは企業のコスト(限界費用)の中に、労働者やその家族の私生活に強いる犠牲(コスト)や、その結果、社会に少子化をもたらす被害(コスト)の大きさが十分に考慮されていないという意味で問題です。

 つまり、日本企業の雇用慣行によって外部不経済が発生し、企業の私的限界費用と社会的限界費用が乖離しているのです。このため、政府が働き方改革として、労働時間の規制を行ったり、ワークライフバランスの改善に取り組む中小企業へ補助金(注2)を出すことが、外部不経済の是正策として正当化されます。

 我が国の社会保険は賦課方式と言って、将来も子どもが生まれ続け、保険料や税を負担する労働人口が一定程度、維持されることを前提とした仕組みになっています。

 このため、急速な少子化が進んで労働人口が急減することは、我が国の社会保障の持続可能性にとって大きな脅威となります。逆に言うと、子どもが生まれ、自立した大人に育ってくれることは、社会保険にとってまさに福音であり、子どもは社会保険に外部経済をもたらす存在と言えます。

 このため、政府が、子育て世帯に対して金銭給付をしたり、独身者への結婚支援を行うことが正当化されるのです。

(注2)これは、外部性を解決(内部化)するためのピグー補助金(編集部注/社会全体にプラスの効果をもたらす活動を促進するために、政府が交付する金銭的な支援)と解釈できます。同じ理屈で言えば、いつまでも長時間労働や頻繁な転勤を行っている企業には、ピグー税と(編集部注/環境汚染などの外部不経済を是正するため税金を課す政策)して追加的な法人税を課すべきと言えるでしょう。

 一方、年金や医療保険、介護保険などの社会保険はなぜ、資源配分の効率化政策に分類されるのでしょうか。

高所得者は支払った割には年金額が少なく

低所得者は見合わないほどの年金額

 我が国の世間一般、あるいは行政や社会保障の専門家の中にも、社会保険は、所得再分配政策だと思っている人が多いようです。なぜならば、受益の分だけ保険料負担を行うという応益負担の原則をとっている民間保険とは異なり、社会保険の保険料は、所得が高い人ほど多く負担する応能負担の原則をとっている場合が多いからです。正確には、医療保険が最も応能負担の色彩が強く、介護保険、年金の順に応益負担に近づきます。

 ただ、たとえ年金であっても、高所得者は高い保険料を支払った割には年金額が少なく、低所得者は払った保険料に見合わないほど多くの年金額を得られますので、公的年金を通じた所得再分配が行われています。また、医療保険や介護保険の自己負担率(高額療養費制度を含む)も、所得が高いほど高くなっています。

 社会保険を所得再分配政策と考えるのであれば、所得再分配は政府にしか実行できませんので、社会保険を政府が運営するのは当然という理屈になります。

 しかし、経済学の立場から言うと、社会保険で所得再分配政策を行うことは全く望ましくありません。なぜならば、社会保険の保険料は、基本的に勤労者の賃金をベースに徴収されており、資産がほとんど考慮されていないからです。

 さらに言えば、年金額や金融所得もあまり考慮されていません。このため、例えば高齢者や資産家のように、賃金所得は低いけれど、多額の金融所得や年金を得ている人に、社会保険を通じて所得補助を与えるという逆所得再分配が起きてしまいます。

 富める者から貧しい者への所得再分配をきちんと行うためには、累進的な相続税や所得税、生活保護といった所得再分配に特化した政策手段を使うべきで、その方がはるかに効率的です。社会保険は、民間保険と同様に、所得再分配に対しては中立的に、応益負担で運営することが望ましいと言えます。

医療保険を任意加入にすると

何が起きるのか

 そうなると、そもそもなぜ、社会保険を政府が運営する必要があるのでしょうか。実際、生命保険会社や損害保険会社などが運営している民間保険でも、医療保険や介護保険、年金保険が提供されています。国民は政府に頼らず、市場で民間保険を購入し、自分の力でセーフティーネットを用意すれば良いのではないでしょうか。

 実は、民間保険には、情報の非対称性が存在していることが知られています。この市場の失敗のため、政府が社会保険を運営する方が、民間よりも効率的です。そのことが、政府が社会保険を運営する理由となっています。

 具体的には、民間保険には逆選択が起きています。逆選択とは、情報の非対称性によって起きる現象で、「保険に加入する個人と、保険を運営する保険者の間に、リスクに関する情報の非対称性がある場合、リスクの高い人ばかりが保険に残り、リスクの低い人々が保険から脱退してしまい、十分な保険商品が提供されない」ことです。

 例えば、民間医療保険の場合を考えましょう。生活習慣が非常に悪い、長時間労働やストレスの多い過酷な職場にいるといった情報は、加入者自身はよくわかっていますが、保険会社にはわかりません。

 本来、このような人々は生活習慣病を発症するリスクが高いわけですから、高い保険料を取っておかなければ民間保険が成り立ちません。しかし、保険会社は情報の非対称性のために、それを見破ることができませんから、生活習慣が良く、環境の良い職場に勤めるリスクの低い人々と同じ保険料を設定せざるを得ません。

 すると、リスクの低い人々は、自分のリスクに見合わないほど高い保険料を取られることに不満を感じ、この保険商品を買いません。結局、保険を買うのはリスクの高い人々ばかりということになりますから、保険料はますます高くなり、保険が成立しにくくなる(もしくは十分にリスクをカバーした商品が提供されない)ことになります。

強制加入だからこそ

全員が得をする

 同じことは、民間の個人年金にも当てはまります。これまでに行われてきた調査によって、こうした民間の個人年金に加入している人々は、平均的な寿命よりもかなり長生きであることが知られています。

『入門 社会保障の経済学』 (鈴木 亘、新世社)

 これは自分が早死にするだろうという情報を持っている人々が個人年金に入らず、長生きするだろうという情報を持っている人々ばかりが加入していることを示唆しています。実際、販売されている個人年金はかなり割高な保険料となっています。

 この時、政府がリスクの高い人も低い人も強制的に全員加入しなければならない公的年金を設立すると、状況はどのように変わるでしょうか。民間が運営するよりも当然、保険料が低く設定されますから、まず、リスクの高い人にとっては大変望ましいことです。

 一方で、リスクの低い人にとっても、民間では割高な個人年金しか存在せず、これまで個人年金に入りたくとも入れず、リスクに晒される状況だったわけですから、公的年金に入れるようになることは(ある範囲内では)望ましいことです。つまり、政府が強制的に公的年金を運営することによって、全員を望ましい状況に変えることができます。

 民間が運営するよりも効率的に運営できるからこそ、政府による社会保険の設立が正当化されるのです。