笹原右京に舞い降りた『突然のオファー』 2年ぶりにスーパーフォーミュラ復帰叶えた地道な努力「ちゃんと見てくれる人が」

欧州での4輪デビュー戦を担当したコシモ・プルシアーノさん(右)とタッグを組む笹原右京(左)。不思議な縁を感じるという(jRP提供)

2月半ばの公式テストではコンディションに関わらず積極的に走った笹原右京(jRP提供)

KONDOの4号車に乗り込んだ笹原右京。2月半ばの公式テストでは64周を走り込んだ(jRP提供)

新天地のKONDOはチーム改革の真っただ中。じっとモニターを見つめる笹原右京(jRP提供)

 トヨタ自動車のオウンドメディア「トヨタイムズ」と、中日スポーツ・東京中日スポーツWeb「トーチュウF1 EXPRESS」のコラボレーション企画の第11弾は2年ぶりにスーパーフォーミュラ(SF)復帰が決まった笹原右京を取り上げる。KONDOレーシングから突然のオファーだったようだが、シートを失った1年間も続けた地道な努力が実った。

 これまで不遇なイメージがつきまとっていた笹原に、本人ですら予想していなかったチャンスが訪れた。1月末にSF参戦のオファーが舞い込んだという。「皆さんもそうだと思いますが、僕自身も全く予想していませんでした。素直にうれしいし、感謝しています。でも、なんか面白いと思った」。急な復帰をただただ感謝するというのではなく、これまでの経験で培ったチャレンジ精神に火がついた感じだ。

◆欧州の国際大会で腕を磨く

 2000年代半ばから欧州に出向いて、レーシングカートの国際大会で腕を磨いた。そのまま欧州で4輪レースにステップアップ。チームとの交渉も自分で行うという独特なキャリアを歩んできた。ただ、自動車メーカーの支援を受けていたわけではないので活動資金は限られ、完璧な体制での参戦は数えるほど。突然シートを失うことも1度や2度ではなく、不屈の精神で自らの道を切り開いていった。

 16年に活動の場を日本に移した後も巡り合わせは決してよくなかった。ホンダの育成選手としてFIA―F4に参戦した時も欧州での経験を生かした速さをみせた一方、タイトルを獲得できず不安定な状況が続く。「僕も安定したいですよ。でも、自分で決められることでもないし。若い時から、良いことも悪いことも経験してきた境遇だった。シートを失う時は本当に残念ですが、ずっと悔しがっていても何も変わらないと思う。(切り替えが早いのは)性格なんでしょうか」。どんな境遇でも、進むべき道を見失うことはなかった。

◆外国人選手の代役でSFデビュー

 2年ぶりの復帰を果たすSFにデビューしたのは20年。コロナ禍の影響で来日できなくなった外国人選手の代役だった。翌21年はシートを失ったが、病欠した選手の代役で開幕2戦に出場して3位に食い込み、初めて表彰台に上った。22年はフル参戦をつかみ取り2勝を挙げてランク6位に入ったが、再びレギュラーシートを失った。「欧州時代を含めて思い返してみると、これまですごくたくさんのことやいろんな出来事がありました。他の人よりもはるかに多いと思う。でも、今でもこうやって好きなレースができているので、本当に幸せだと思う」。言葉では言い表せないような苦い経験を乗り越え、逆境でも前を向ける強いメンタルをつくり上げた。

 SFでスーパーサブと呼ばれた時期も「シートがないからこそ見える景色もある。昨年も若手ドライバーのアドバイザーという立場からいろいろなことを学びました」と来たるべきチャンスに備えていた。フィジカルの面でもトレーナーとの二人三脚で2年前から肉体改造に取り組み、体重は変わらないながらも洋服のサイズがMからLになるほど鍛えあげた。「F1などを見ていると、みんなものすごくタフじゃないですか。レースが終わった直後にもう1レースできそうな感じだし。僕も今では続けて2~3レースできますよ」。レギュラーシートを失っていても、自らを高める努力を続けてきた。

◆4月末には節目の30歳

 24年限りでSFのシートを失っても、復帰を諦めていなかったという。「どこかでチャンスはあるんじゃないかと思っていました。もちろん自分で決められることではないので、(ドライバーとしての能力を)証明し続けようと思った。スーパーGTには乗れていたしここ2年はタイトル争いもできるようになった」。活躍できる場があれば、どんなときでもアピールを続けた。

 そんなひた向きな努力が人を動かした。「ちゃんと(自分を)見てくれる人がいて、助けてくれる人がいて、それが次につながった。ただただ周りの人たちに感謝です。それが一番ですよ」。場面場面で手を差し伸べてくれる人たちに恵まれ、長らくトップ選手として活動できていることは忘れていない。感謝の思いでいっぱいだ。

 4月末には節目の30歳を迎える。少しずつベテランの領域に足を踏み入れだしたが、「もっと速くなりたい」「もっと強くなりたい」という思いは若いころから変わらない。「どんなアスリートでも歳を重ねていくと、いつかは引退というときがくると思います。自分も必ずそんなタイミングが訪れますが、最後の瞬間までずっと力を出し続けていきたいと思っています」。ドライバーとしてのピークが訪れたとしたら、それを引退までキープするのが笹原のレーシングキャリアの最終形という。

 10代で欧州に渡った動機は、「自分は世界で何番目に速いのだろう。それを追い求めていましたね。その思いは今でもあるし、最後まで変わらないと思います。もう1回世界に挑戦できるチャンスがあるなら、今すぐにでもいきますよ」。レース活動を始めたころに抱いたピュアな気持ちは今も色あせていない。

◆KONDO担当エンジニアは旧知の仲

 KONDOで担当エンジニアになったコシモ・プルシアーノさんとは旧知の仲だ。「僕が欧州で4輪デビューしたときのエンジニアさんでした。1戦のみだったんですが、ずっと連絡を取っていました。まさか日本で一緒に仕事をするとは…。不思議な縁を感じています」。再び人生が動き出した予感がする。まずは目の前のSFで「自分のパフォーマンスをしっかり出し切り、チームに貢献したい」。チャンスを生かした先に、世界が見え隠れする。(田村尚之)