かつて武器輸出を「全面禁止」した日本が、高市政権で「解禁」するまでの50年を振り返る
三木武夫内閣が1976年に事実上の全面禁輸に踏み切ってから半世紀。政府は段階的に緩和してきた武器輸出を解禁した。1976年当時の宮沢喜一外相は国会で「わが国は兵器を輸出してカネを稼ぐほど落ちぶれていない」と強調したが、高市早苗首相は「もう時代が変わった」と方針転換を正当化した。(近藤統義)

閣議に臨む高市首相=21日、首相官邸で(佐藤哲紀撮影)
◆長年守ってきた平和国家の矜恃 高市首相「もう時代が変わった」
武器輸出のルールを巡っては佐藤栄作内閣が1967年、東西冷戦を背景に共産圏や紛争当事国などへの武器輸出を禁じる「武器輸出三原則」を打ち出した。1976年、ハト派として知られた三木首相が国会に政府統一見解を示し、西側諸国などに対しても「憲法などの精神にのっとり輸出を慎む」と明言した。
その後、武器輸出は日米同盟重視の立場から段階的に緩められた。中曽根康弘内閣は1983年、対米武器技術の供与を容認。2004年には小泉純一郎内閣が米国との弾道ミサイル防衛(BMD)システムの共同開発・生産も例外化措置の対象に追加し、他国向けも個別に検討する仕組みとした。

民主党政権でも野田佳彦内閣が2011年、戦闘機などの国際共同開発・生産への参加や、平和貢献・国際協力のための防衛装備品の海外移転を認める例外基準を公表した。
例外扱いだった武器輸出を原則容認に転換したのが第2次安倍晋三内閣だ。2014年に現行の「防衛装備移転三原則」を策定し、
(1)紛争当事国などを除く
(2)輸出を認める場合を限定し、厳格に審査する
(3)輸出先に適正管理を義務付ける
──という要件を満たせば輸出できるようにした。歯止めとして輸出品目を非戦闘目的の5類型(救護、輸送、警戒、監視、掃海)に限るルールを運用指針に盛り込んだ。
岸田文雄内閣は2023年と2024年に運用指針を改定。外国企業に特許料を払って国内で製造する「ライセンス生産品」の完成品輸出や、英国、イタリアと共同開発・生産を進める次期戦闘機の第三国移転を可能にした。今回のルール改定は5類型を撤廃し、武器輸出の歯止めを全面的に外す内容だ。
殺傷武器の輸出制限を撤廃…ルール緩和を閣議決定 歯止めなき新ルールの全体像とは?
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殺傷武器の輸出制限を撤廃…ルール緩和を閣議決定
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