3割バッターが減った本当の理由は…「あの『笑いの達人』の言う通り」通算465本塁打の土井正博さんが明かす真意 プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(58)

近鉄時代の土井正博さん。豪快な構え方は野球漫画「あぶさん」の主人公が打撃フォームの参考にしたともいわれる。

 プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらった連続インタビューの蔵出し企画「名球会よもやま話」。第58回は土井正博さんが2度目のご登場です。大阪・大鉄高(現阪南大高)を中退してプロの世界に飛び込みました。通算465本塁打を放った強打者ですが、スラッガーに似合わない意外な数字も残されています。(共同通信=栗林英一郎)

インタビューに応じる土井正博さん=2020年10月、大阪市内

 ▽進学先がないピンチに差し伸べられた救いの手

 (大阪府柏原市の)柏原中学校の部活動から野球を本格的に始めました。ポジションはピッチャー。強かったですよ、うちのチーム。柏原中と(ともに大阪府八尾市の)龍華(りゅうげ)中、成法中、この3校がいつも切磋琢磨してね。みんな自転車で行けるぐらいの距離にあって、練習試合とかあるんですけど、久野剛司というピッチャーがいて、なかなか打てなかった。その選手らはみんなスカウトされて高校へ行くんです。久野は八尾高で、1年生で(1959年の)夏の甲子園に出てベスト4まで残った。久野は同志社大へ行って、それから阪神に入ったんかね。

 僕は高知商へ進むっていう話を取りつけてた。甲子園に出られるチャンスやろ、君の力ならレギュラーが取れるからって。仲介の人を信用してたんですけど、結局は行けなかったんです。どこも試験を受けてないし(進学先が)宙に浮いてもうた。その時に実家の近くに大鉄の関係者が住んでたんです。実家は本屋で、よく本を配達してたんですよ。お菓子をもろうたりしてね。僕に「野球好きやろ。どこの高校に行くの」って聞くから「行くとこないんです」って言うたんです。実はこういうことでって話したら「うちのお父さんに言うて、大鉄にどないか入れるよう相談してみる」って。大鉄ってどんなとこか全然知らなかった。初めから四国にっていうことでしたから。

 僕は遅れて途中から入学した。秋の大阪大会がもう始まってる最中です。3回戦ぐらいの時に入って、ゲームに出だして、準決勝で久野の八尾と当たった。球場にずらっとスカウトが並んでる。甲子園に出た久野を見に来てるわけですよ、全球団のスカウトが。舞い上がってもうてね。僕は中学の時に久野とある程度、対戦してる。ほんで、パーンと打ったやつがホームランになった。久野から打ったって、みんなが騒ぎ立てた。今度はスカウトが僕を球場に見に来るようになった。

1964年に20歳でプロ4年目を迎えた土井正博さん。同年は4番打者として64試合に先発出場し、パ・リーグ2位の98打点を挙げた。

 その次の年に浪商(現大体大浪商)の尾崎行雄が出てきた。僕の1年下なんです。そら、すごいピッチャーですよ。練習試合で、きりきり舞いでした。「怪童」って言われて、これはあかんわと思ってね。(当時は近鉄スカウトの)根本陸夫さんが「ええピッチャーやろ。おまえら甲子園も、これから出られへんぞ。早うプロへ来い」って。おふくろも口説きに行ってるからね。おやじは戦死して、いてない。おふくろは野球選手なんかやっても絶対成功しない、大学に行かしたいと。僕は勉強が嫌いやったから何しろ野球したいって必死に言うてたんです。おふくろが根本さんに「息子を近鉄の社員として雇ってくれるか、嘱託っていう形で。一筆書いてくれるか」って。近鉄は(会社が)大きいから、入れてもらったら間違いないと。で、根本さんが「オッケー」っていう話。母は僕なんか、すぐ辞めて帰ってくると思ってた。本屋を継いだらええわって。

1966年のシーズンに向けて練習する土井正博さん。

 ▽整理リストに載った土井さんが生き残れた理由とは

 僕がプロに入った時の監督は千葉茂さんやった。2軍戦で3割打ってて、近鉄は弱いから(シーズンの)最終ゲーム近くでテストしてくれる、そん時にええとこ見せたらと思ったんですよ。でも一向にお呼びがない。近鉄は最下位で(61年の勝率は)2割台。それでもないんですよ。来年も千葉さんがやられんねやったら、もうあかんわって思った。千葉さんのクビのリストに載ったんですよ。あの時は整理せなあかん人が、ものすごく多かったんです。リストに載ってるから練習も行かないやないですか。根本さんが「ちょっと待て。(後任監督に)別当薫さんが来るかも分からん。早まんな」って。千葉さんはコンコン打つ小さい選手が好みで、僕らが要らない。別当さんは大きいのをガーンと打つっていうあれ(指向)でね。今度は反対に大型の選手が何人か残ると。別当さんが監督になったら大型の人が3人ぐらい残って、小さい人が辞めていった。運命って、どこで出会うんか分からんな。

1975年7月、オールスター第3戦で2ランを放ち、最優秀選手賞に輝いた土井正博さん。同年シーズンは本塁打王のタイトルを獲得=神宮

 ほんで(62年シーズンが)始まるんですけど、全然当たらない。18歳で打率2割3分いうたら、ええとこなんですよ。せやけど(翌63年から)4番を打つとなれば、これは自分が情けない。「おまえみたいなんが4番打ってるから、近鉄の最下位は当たり前じゃ」って、やじられるのがたまらんわけです。毎日毎日やられんので、僕は監督室に行って軽い気持ちで「すいません、外してください」って言った。外してもらって、また10日間ぐらいしたら出してくれるやろと思ってた。別当さんは血相変えて「使ってる俺の方がどんだけつらいか。ここで外すと一生出てこられない。そんな泣き言を言うてんやったら、練習してみい」って怒られたんですよ。頭の中を駆け抜けた。こんだけ思ってくれてる。もう、そっからですね、監督が夜に付いてくれて、ちょっとずつ教えてもらった。

 手にまめができで、バットが握れるようにテーピングみたいなのをした。「力が入っとるぞ」ってバチーン、バチーンと、どつかれるんですよ。力を抜くんだって。手が痛いから軽く振るようになったら、バットが走り出す。力いっぱいやったからって振れるもんじゃない。力を抜いてるから振れる。キャンプでは(宿舎の)大広間の障子の前で振らすんです。別当さんが振ると障子が揺れる。力が入るとバットのしなりがないからヘッド(バットの先端)が遠回りする。グリップが先に出てヘッドが後から付いてくるとヘッドが走る。障子が鳴るまでやってみいと。そういうことも体を使いながら教えてもらった。それは自分がコーチになってからも、若い子に教えてあげたんですよ。やっぱり力をなんぼ入れても飛ばないんですね。

1980年シーズンに臨む土井正博さん。プロ20年目の翌81年限りで引退した。

 ▽往年の笑いの達人が口にした「タイミング」の妙

 【土井さんの三振率は、わずか7・9%。400本塁打以上の打者で張本勲さん(7・3%)に次ぐ2番目の少なさ】

 僕はね、振ったら必ず当てる自信がある。(投球が)ワンバンドでも何回も当てた。イチローがワンバウンドを打ってましたよね。あんなんは、なんぼでもあるんですよ。(本塁打を)400何本打ってね、三振はほんまに少ない。自分が責任持って振った分には、必ずどっかで当てられるっていう頭がある。目がええんでしょうね。僕、言われたもん。「おまえ、動体視力でヤマ張ってるんちゃうか」って。電気が付いたらパッて触るやつで調べるんですよ。あれやったって、ばっちりと動ける。

 動体視力も良かったし、体の動きもかなり優れたものがあったんじゃないか。そこらは違うね、今の人と。みんなね、あまりにも自然体で打ててない。真っすぐに合わして、変化球が来た時に一瞬の間(ま)ができるのが、ええバッターの条件。今はヤマを張った球に対するタイミングを取ってるだけ。違うボールが来たら、まるっきり手を出さない。そういうバッティングをやってたら3割バッターは絶対少なくなる。基本的に速いボールを待って、緩いボールにある程度の間ができる。そのためにどこを鍛えなあかんか。膝を鍛える。膝でキュッと踏ん張る。一瞬歯を食いしばるぐらいにキュッと。前の足が割れて(膝が外に向いて)しまったらあかん。割れたら体が開いてしまうので、しっかり膝を締められるか。それはもう訓練の中でできるもの。とっさにできるように。

2014年10月、中日の秋季練習で打撃指導する土井正博さん(右)=ナゴヤ球場

 社会人野球をやってた欽ちゃん(コメディアンの萩本欽一さん)が言うてたんですよ。間が取れんから間抜け。漫才でもそう。話の中で間が取れへんから間抜け言うねん。間を取ってみいと。間というのはタイミングでしょ。漫才でも話をまとめる間ですよ。ええこと言うなあと思うて。どんな世界でも、自分の間があると成功するんです。ソフトバンクの近藤健介なんか名球会の連中と匹敵するぐらいの、ええバッティングしてます。良うなったんが、後ろに腰を残すようになった。今までヒットしか出なかったんだけど、後ろに残してホームラン打ってるでしょ。ええポイントで打ってる。ああいうバッターは、どこかで研究している。近藤がホームラン王になるとは思わんかったでしょう。それだけ勉強している。野球に対して間抜けじゃないのです。

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 土井 正博(どい・まさひろ)大阪・大鉄高(現阪南大高)で1960年の選抜大会出場。高校を中退して61年に近鉄入り。64年から本格的に4番を任せられた。太平洋(現西武)へ移籍した75年に本塁打王。名球会入り条件の2千安打は77年7月に到達した。通算2452安打、465本塁打。81年に引退後は西武や中日でコーチを務めた。43年12月8日生まれ。大阪府出身。